自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

アカシアの通る道 2011年

アルゼンチンの「道」

アルゼンチン、スペイン、パブロ・ジョルジェッリ監督

木材を運ぶ長距離運転手のルベンは上司の依頼で仕方なくシングルマザーのハシンタをパラグアイから国境を越えて、アルゼンチンのブエノスアイレスまで送ることになる。ハシンタは従妹に仕事を紹介してもらうためだった。

彼女は5か月の娘アナイを連れていた。父親はいないと言う。ハシンタは赤ちゃんのオムツを替え、ミルクを飲ませる。

寡黙で不機嫌なルベンはタバコをふかし、水を飲む。しかし赤ちゃんのあどけない顔を見ているうちに、次第に母子と打ち解けてゆく。旅の途中で一緒に川を眺める。彼女は何処かに電話をし、なぜか涙を流していた。ルベンはそのわけを聞かなかった。

ハシンタが従妹の家に到着するとたくさんの家族に温かく迎えられる。その光景をルベンは羨ましく眺める。彼は8年も息子に会っていないという。

 

2日間の旅だったが、ルベンはハシンタや赤ちゃんと別れるのが辛かった。そして躊躇しながらも思い切って、ある言葉をかける。ルベンは恋をしたのだ。

 

シンプルすぎるほどのロードムービーだった。少ないセリフのなかに二人の境遇と心の揺れが伝わり、そして水のように心の中に沁み込んできた。

カンヌ国際映画祭カメラドール賞

親愛なる同志たちへ 2020年

30年間、封印されていた3日間の出来事

ロシア、アンドレイ・コンチャロフスキー監督

スターリン亡きあとのフルシチョフ政権下、1962年6月1日、ソビエト連邦、ノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが発生した。

労働者たちが物価高騰や給与カットに抗議の意思を示したのだ。市民たちは「スターリンの時代は物価が下がったのに」と不満だった。

党の指導部は、スト鎮静化と情報遮断のために現地へ高官を派遣。そして翌日、KGBの狙撃手が5000人のデモ隊や市民を無差別に銃撃した。

国家に忠誠を誓ってきた女性の市政委員リューダは暴動をおこした労働者たちの厳罰を求めた。しかし彼女の娘18歳のスヴェッカが行方不明になっているのを知り、リューダは娘の行方を捜す。

 

軍は事実が外に漏れることを怖れて電話や往来を遮断し、市民には守秘義務を課した。そして記憶を消すために血の流れた広場でダンスパーティを開いた。

共産党員で祖国を信じていたリューダは「スターリンが恋しい」「共産主義以外の何を信じればいいの」と言い、最後に「これから必ず良くなる」と未来に希望を託した。

 

スターリン批判のフルシチョフスターリン信奉のプーチン。ロシア文化庁公認映画ということにどのような「思惑」があるのかは分からないが、それでも映画は「思惑」を超えてゆく。実に興味深い作品だった。

ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞

リストランテの夜 1996年

アメリカン・ドリームという幻影

アメリカ、スタンリー・トゥッチキャンベル・スコット監督

1950年代のニュージャージー州の小さな港町、レストランを経営しているイタリア移民の兄弟。兄プリモは頑固な天才肌のシェフ、アメリカン・ドリームを夢見る弟セコンドは営業と経理を担当している。

しかし経営は行き詰っていた。アメリカ人の好みに合う料理を出していなかったからだ。借金を返済しなければレストランは銀行に差し押さえられる。

同じ移民でイタリアレストランを経営しているパスカルの店はいつも盛況だった。セコンドはパスカルの勧めで有名な歌手のレオ・プリマを招待して、パーティーを開く。

 

優雅で夢のような「バベットの晩餐会」に比べると「リストランテの夜」は切実でリアルな物語だった。パーティーでは野菜のスープから始まって、リゾット、鳥の香草焼き、ブタの丸焼き、そして郷土料理のティンパーノが出される。

 

招待客は料理を味わい、至福の歓びで陽気になって踊り出す。

しかし現実は厳しく、プリモはイタリアを離れたことを後悔し、「俺にとってアメリカは地獄だ」と叫ぶ。アメリカン・ドリームはなかった。

 

パーティーが終わった朝、プリモとセコンドがキッチンでオムレツを食べるシーンには一抹の寂しさがあった。しかし希望もあった。