自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

傷痍軍人

戦争が見える

浅田次郎の短篇小説「金鵄のもとに」を読んでいると物乞いをする傷痍軍人が登場してきた。すっかり忘れていた一つの記憶が蘇ってきて、私はある光景を思い出した。

 それは随分前のことだが、場所は大阪、阪急電車の十三駅のガード下で傷痍軍人が白い病衣を着て帽子をかぶり松葉杖をつき、物乞いをしていた光景だ。

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子どもの頃、傷痍軍人を見た記憶はあるが、大人になってからはあの一度だけだった。まだこのような人がいたのかと、タイムスリップしたようだった。時間の裂け目から現れたような気がした。通行人たちは避けるようにして通り過ぎて行った。私はしばらくの間、茫然とした。

片脚を失った傷痍軍人が物乞いをする姿を見た時、初めて戦争というものが見えたような気がした。

 

ほとんどの日本人にとって戦争はもう見えなくなった。今時、実際に傷痍軍人を見たという人すら、もうあまりいないのではないか。

 

かつての十三駅の線路沿いには戦後の闇市を思わせる安い飲み屋が並んでいた(数年前に火災で焼けてしまったが)ガード下も戦後の雰囲気を色濃く持っていた。

千年の祈り 2007年

平凡な人生なんてものはどこにもない

アメリカ、日本、ウェイン・ワン監督

 ウェイン・ワン監督には「ジョイ・ラック・クラブ」「スモーク」などの名作がある。

「千年の祈り」は名作というわけではないがどこか忘れられない映画だった。

原作は女性作家イーユン・リーの短篇集の中の一篇でどれも粒ぞろいの短篇ばかりだった。

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妻に先立たれ、一人北京で暮らすロケット工学者だったシーは、12年前にアメリカに渡ったままの娘イーランを訪ねる。娘は離婚してアメリカで一人暮らしをしていたが、無口で幸せそうには見えなかった。父親は心配するが娘にはそれが鬱陶しいものだった。

 娘は「母国語で感情をあらわすことを覚えなかったから、新しい言語で話す方が楽なの」と父親に語る。異国で暮らす娘のアイデンティティの揺らぎがあった。映画ではさりげなく文化大革命共産主義について語られる。

 

父親は公園でイラン人の老婦人と親しくなり、二人はペルシア語と北京語と片言の英語で家族のことを話し合う。

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特に大きな出来事が起こることもないが、父と娘と老婦人の隠されていた姿が明らかになるたびに胸が締めつけられる。

 

とうとう娘は長年、鬱積していた怒りを吐きだす。「パパはロケット工学者なんかじゃなかった。それに愛人もいた」

それに対して父親は静かに訥々と真実を語り始める。そこには政治に翻弄されキャリアを失いながらも家族のために生きぬいた父親の姿があった。

 

中国には「修百世可同舟」ということわざがある。誰かと同じ舟で川を渡るには三百年祈らなければならないという意味。父と娘が分かりあえるためには千年祈らなければならない。

パリの家族たち 2018年

いろいろな母親がいる、母親にならない人もいる

フランス マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール監督

パリで働く女性たちとその家族を通して母親とは何かを問いかける作品。

 

1908年、アンナ・ジャービスは母の命日を「母の日」とした。画家ホイスッラーの「母の肖像」が記念切手になる。後年「母の日」があまりにも商業的になりすぎてアンナは廃止しようと闘っていた。

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女性大統領のアンヌは3か月になる息子の子育てを夫にまかせていたので母親失格だと悩んでいた。母親になったことで批判され政治家としても自信をなくしていた。

小児科医イザベルとジャーナリストのダフネ、大学教授のナタリーの3姉妹は認知症の母親の扱いに困っていた。

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ナタリーは食事会で平気でオムツを替え、授乳する母親に「子どもを産んだ母親は偉いの?」と反発する。

舞台女優のアリアンは干渉しすぎる息子にうんざりして、タップダンスを習い始める。息子の恋人で花屋のココは思わぬ妊娠をしてしまう。中国人の娼婦はスカイプで故郷に残した子供に愛情をこめて話しかける。

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来年の選挙を控えた女性大統領のアンヌは夫の「それぞれのペースですすもう」という言葉に救われ、母の日、テレビのインタビューに答える。「母親になって以前と変わりましたか」「変わりたくなくて全力で抵抗しました。母親はすごくもなく偉くもない。でも確実に前の自分とはちがいます。私を豊かにしてくれた。4年前、国民は女性を大統領に選びましたが、次は母親を選ぶでしょう」

 

3姉妹は認知症の母親をレストランに招待する。母親は食事を気に入るが、そこはレストランではなく介護施設だった。子どもの頃から母親に邪険にされていたイザベルは「許して、私も許すわ」とつぶやく。

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シャール監督が女性として思いのたけをぶちまけたような作品で、あまりにも登場人物とエピソードが多すぎて戸惑ってしまう。出来れば二度ご覧になればこの映画の良さがきっとわかる。