自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

メッセージ 2016年

もし時の流れがなかったら

アメリカ ドゥニ・ビルヌーブ監督

原作はテッド・チャンの短篇「あなたの人生の物語

地球上の12の地点に降り立った卵型の巨大な宇宙船。モンタナ州の宇宙船とコンタクトをとるために言語学者のルイーズと物理学者のイアンが呼び出される。

「地球に来た目的は何なのか、彼らの要求と正体を知りたい」というのが政府の要請だった。

f:id:hnhisa24:20201116091442j:plain

思考は言語によって形作られる、だからエイリアンを理解するのは科学ではなく言語だとルイーズは考え、まず会話を試みる。

 

エイリアンは会話に視覚言語を使っていた。それは表意文字でしかも書き言葉と話し言葉には関連がなく、とても効率的なコミュニケーションだった。人類のコミュニケーションには無駄が多かった。

その上、彼らの言語には時系列がなかった。彼らには時の流れがなく、すべてが「現在」だった。つまり彼らの世界は「動画」ではなく「絵画」だった。

f:id:hnhisa24:20201116091515j:plain

エイリアンは人類を助けに来たという。エイリアンにとって3000年後に人類の助けが必要になるからだ。それは「ウィン ウィン」の関係だった。

 

一方、ルイーズの幻覚の中に知らない少女が何度も現れる。少女は誰なのか。

じつはイアンと結婚して生まれるルイーズの未来の娘だった。エイリアンの贈り物なのか、ルイーズは未来が見えるようになっていた。

f:id:hnhisa24:20201116091538j:plain

しかし娘は大人になって重い病で死んでゆく。誕生から死までの娘の「人生の物語」をルイーズは知る。そんな未来をルイーズは選ぶ。何よりも娘と共に生きた「現在」が大切だったからだ。

 

量子力学の奇妙な世界を思わせる知的な映画だ。

赤毛のアン(特別版)1985年

豊かな想像力をもつと女王のように幸せになれる

カナダ、アメリカ ケヴィン・サリヴァン監督

原作はルーシー・モード・モンゴメリの長編小説。193分のテレビドラマ。

 

1880年代、カナダで一番美しい島、プリンスエドワード島を舞台に孤児のアンが年老いたマシューとマリラの兄妹に引き取られ、グリーン・ゲイブルズの美しい自然の中で成長してゆく。

f:id:hnhisa24:20201113090724j:plain

アンは想像力が豊かでいつもロマンチックな夢をみる13歳のおしゃべりな赤毛の少女だった。初めはアンを引き取ることに躊躇していたマリラとマシューはいつしかアンを実の娘のように思い始める。

当時、孤児の境遇はとても悲惨なもので、アンはグリーン・ゲイブルズにすっかり魅了され、孤児院に返されたくなかったので必死になって礼儀作法を学んでゆく。

f:id:hnhisa24:20201113090745j:plain

花が咲き乱れる春、樹々や草の青さが目にしみる夏、鮮やかな紅葉の秋、そして雪景色の冬、美しい自然の中、そして人の善意に包まれてアンはクィーン学院を一番の成績で卒業する。

 

13歳のアンは自分の赤毛を恥ずかしく思い、ロマンチックな金髪に憧れていた。同級生のギルバートに赤毛をニンジンとからかわれて怒りが爆発する。

しかし人を許すことをマリラから教わり、16歳になったアンはギルバートにニンジンと言われても微笑むだけだった。赤毛は恥ずかしい事ではなく、それは個性だった。アンはいつしか大人の入り口に立っていた。

f:id:hnhisa24:20201113090813j:plain

マシューが突然亡くなり、アンは大学の夢をあきらめグリーン・ゲイブルズで教師になる。

 

大人の女性たちは赤毛の少女の夢物語に胸をときめかすだろう。もう忘れているかもしれないが「大人はかつて子どもだった」からだ。

ラジオのある風景

ずいぶん前からテレビをほとんど観なくなり、ラジオを聴くようになった。特に何か考えのあったことではなく、成り行きでそうなっただけだ。最近の生活は目を酷使するのでラジオはありがたい。

f:id:hnhisa24:20201110092411j:plain

朝、目が覚めるとまずラジオをつけ、しばらくの間ベッドで聴いている。今朝は竹内まりやの「ウイスキーが、お好きでしょ」が聴こえてきた。「木綿のハンカチーフ」の朝もある。

聴いているのはFM放送なのでメインは音楽。そこにDJのトーク、リスナーのメッセージ、ウェザーニューストラフィック・インフォメーション、ヘッドラインニュースが加わる。コマーシャルは少ない。

 

テレビはどこか重くホットなメディアで、それに比べてラジオは軽くクールなメディアのように思える。もちろん情報量はテレビのほうが圧倒的に多い。でも身近なイベント情報はラジオのほうが多くて便利だ。案外、情報量の少ないほうが時代を捉えやすいのかもしれない。

 

最近はラジオが見直されリスナーが増えているという。リスナーとの距離が近いラジオはヒューマンなメディアだと思う。

f:id:hnhisa24:20201110092433j:plain

ちなみにラジオで思い出すのは三谷幸喜監督作品「ラヂオの時間」で面白い映画だった。徳永英明の「壊れかけのRadio」も好きな歌だ。

クィーンは「Radio Ga Ga」でこう歌っている。

「♪・・お前はまだまだ終わっちゃいない。お前はまだ愛されている・・♪」