自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

林檎とポラロイド 2020年

夢のような奇妙な世界

ギリシアポーランドスロベニアクリストス・ニク監督

ある夜、バスに乗っていた男は記憶を失っていた。覚えているのは林檎が好きだという事だけだった。

世界では前ぶれもなく記憶喪失が起こるという奇病が蔓延していた。医師たちから「新しい自分」という記憶回復プログラムを勧められるが、治った者はいなかった。

 

回復プログラムとは毎日、送られてくるテープに吹き込まれたミッション・・自転車に乗る、ホラー映画を観る、仮想パーティで友達をつくる、バーで女を誘うといった体験をポラロイドで撮り、アルバムに貼って新しい記憶をつくる事だった。

医師も記憶喪失者も真面目にプログラムに取り組んでいた。その姿はどこか滑稽で空虚だった。

街角では記憶喪失者たちがポラロイドで写真を撮っていた。男は同じようにプログラムに取り組んでいる女性と知り合う。

 

ミッションでガンの末期患者を看取った男は林檎を「カシャ」と音を立てて美味しそうに食べる。彼はやはり林檎が好きだった。

 

不思議でよくわからない映画だった。普通ならいつしか眠気を覚えるが、なぜか眠たくならなかった。もしかしたら私は夢をみていたのかもしれない。

哀しみの街かど 1971年

70年代ジャンキーのリアルな日々

アメリカ、ジェリー・シャッツバーグ監督

堕胎手術で疲れ切ったヘレンは同棲相手の部屋でヤクの売人でジャンキーのボビーと知り合い、彼の優しさに惹かれてゆく。

ボビーはヘレンをニューヨークのニードル・パークと呼ばれる公園に連れてゆく。そこは注射針が散乱して、ジャンキーがたむろする公園だった。

ヘレンはボビーと一緒に暮らしていくうちにヘロイン中毒者になって身も心もボロボロになってゆく。ヘレンは売春で金を稼ぎ、どんどん奈落に堕ちてゆく。

それでも愛し合っている二人はジャンキーの生活から抜け出そうとするが、ヘロインの誘惑から逃れなかった。

 

ヘレンはボビーを裏切り、二人は何度も喧嘩をするが腐れ縁のように離れられなかった。

救いも希望もない物語だが、ジャンキーのリアルで強烈な生態にグイグイと引き込まれてゆく。殺伐としたニューヨークの街並みは彼らが見ている心象風景のようだった。

 

きっと二人に幸せはやってこないだろう。でも心身ともにボロボロになりながらも生き抜こうとする姿にはある種の感動があった。

二人で「堕ちてゆくのも、しあわせ」なのかもしれない。

村上春樹「品川猿の告白」

現代の御伽草子

作家が寂寥感あふれる群馬県の温泉宿に宿泊する。彼が温泉につかっていると、ガラス戸をガラガラと開けて、猿が低い声で「失礼します」と言って、風呂場に入ってきた。「背中をお流ししましょうか」作家は「ありがとう」と言った。

名前は「品川猿」といい、ブルックナー交響曲7番第3楽章が好きだと言う。

作家は「もしよかったら、少し君の身の上話を聞かせてもらえないだろうか」と訊いた。品川猿はビールを飲みながら話した。

 

猿社会にも人間社会にも受け入れられない品川猿は、究極の孤独のなかにいた。そして人間の女性にしか恋情を抱けない体質になっていた。でも人と猿ではどうしようもなかった。だから愛した女性の名前を盗むことにした。

 

それから5年後、作家は旅行雑誌の美しい女性編集者と打ち合わせをしていた。携帯電話の呼び出し音が鳴り、女性編集者は電話にでた。そして作家にこう聞いた「私の名前はなんでしたっけ」

 

「テーマ?そんなものはどこにも見たらない。ただ人間の言葉をしゃべれる老いた猿が群馬県の小さな町にいて、温泉宿で客の背中を流し、冷えたビールを好み、人間の女性に恋をし、彼女たちの名前を盗んでまわったというだけのことだ」

 

幻想と現実が共存する世界、そして御伽草子の物語。「究極の恋情と究極の孤独」を感じさせる見事な短篇。