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映画に関する短いエッセイとその他

立ちあがる女

たちあがる女

2018年、アイスランド、フランス、ウクライナ

ベネディクト・エルリングソン監督

今もなお大自然が残るアイスランドの田舎町、中国系のアルミニウム工場が環境を破壊していた。

セミプロ合唱団の49歳の女性講師タットラは過激な環境保護活動家で「山女」と名乗り、正体を隠し弓矢で工場への送電線を切ってしまうという活動を続けていた。

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国家の危機、民主主義の危機とマスコミや国民からも批判されていた。それでもタットラは社会に一人で喧嘩をうっていた。また彼女にはヨガ講師の双子の姉がいた。

そんなある日、彼女が4年前に申請していた養子縁組が許可された。養子になるのはウクライナの紛争で両親と祖母をなくした4歳の女の子で、タットラは念願の母親になるのだ。

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シガニー・ウィーバーはたった一人で「エイリアン」と戦った。アイスランドにも正義のために戦う強い女がいた。それがタットラで、もちろん彼女の一方的な正義感は大いに疑問だが、この映画の狙いはそこにない。あくまでも一人で巨大な敵と戦うバイタリティーあふれる女と爽快感が狙いだろう。

つまり「エイリアン」に戦いを挑んだ「たちあがる女」の物語なのだ。

たしかに4歳の少女を救うことは世界を救う事でもあるが、国家や企業に蹂躙されていく無力な個人にどのような抵抗ができるのか。ここにテロリズムが意味をもってくる。そして難民を連想させるラストシーンに世界は不均衡であると思い知る。 

軽くてちょっぴり苦くて、奇妙なユーモアをもった北欧からの贈りもの。