伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生
小説と映画「夜の蝶」のモデルだった通り名おそめ、彼女は銀座と京都を飛行機で行き来し「空飛ぶマダム」と呼ばれた。本名は上羽秀で大正12年(1923年)生まれの古風な京女。
バーのママで後に作詞家、作家になった山口洋子は手記にこう記している。「鮮やかな紫のコートに、淡い水色の傘の色が映えて、アップに結い上げた襟足がどきりとするほど白い。息を呑むような美しさにぼんやりと見惚れていると、だれかが『あの人が有名なおそめのママですよ』と教えてくれた、ああ、さすがに、思った」
また著者の石井妙子は初めておそめに出会ったときのことをこう書いている。
「私は、柔らかな風が突如、通り抜けるのを感じ、反射的に道路沿いのドアを振り返った。そして、思わず小さな声を上げそうになった。そこに老女がいたのである。・・その立ち姿には隙がなく、しかも、人を誘い込むような柔らかさがあった」
昭和23年、25歳の時京都、木屋町でバー「おそめ」を開き、30年には銀座にもバーを開く。人をもてなすことに喜びを見出し、金銭感覚も商才もなく人を疑う事もない女だった。そのために偽洋酒事件に巻き込まれ、その上、銀座もバーも女給も変化してゆく時代で「おそめ」は徐々に凋落してゆく。
「おそめ」に登場する多彩な人たち・・・川口松太郎、服部良一、吉井勇、門田勲、大佛次郎、小津安二郎、川島雄三、高見順、伊藤整、田辺茂一、吉行淳之介、武智鉄二、白洲次郎、白洲正子、田中角栄、中曽根康弘、川端康成、青山二郎、マキノ雅弘、里見弴・・・そして愛人であり、のちに結婚した俊藤浩滋(任侠映画のプロデューサーで藤純子の父親)、かれは裏社会とつながっていた。
2012年の日本経済新聞の訃報記事、「上羽 秀さん(うえば・ひで=元バー「おそめ」店主)10月1日、急性呼吸器不全のため死去、89歳。告別式は近親者のみで行った。喪主は長女、高子さん・・・・」
おそめは流れるように生きた人だった。彼女は幸せだったのかと問う事にはあまり意味がない。人の一生、特に女の一生は幸不幸というモノサシでは測りきれないものだ。