自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

ジョイ・ラック・クラブ1993年

子どもの幸せを願わない母親がどこにいる

1993年、アメリカ、ウェイン・ワン監督

30年前に多くの苦しみを乗り越えて中国からアメリカに移住してきた4人の女性とアメリカで生まれた4人の娘、その4組の母娘の葛藤がアメリカの中華社会を舞台に描かれる。

4か月前に4人の母親のうちの一人が亡くなった。

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ある母親はあまりにも卑屈になって夫に服従する娘に「あなたは自分の価値に気付いていない。あの夫から何を欲しいの、夫を失っても自分自身と尊厳を取り戻せるわ」

 ある娘は我慢を重ねて母親の言うとおりにやってきたが、とうとう「私が何をやっても喜んでくれない」と母親に怒りをぶつける。すると母親は「ずっとその言葉を待っていたの、あなたの本音が聞きたかったのよ」

相手のご機嫌取りばかりで自分を主張しない娘に母親は、自分を安売りして不幸になった祖母ことを話す。

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ある母親がパーティで自慢のカニ料理をだす。その娘は「他の娘たちと違って私には生まれつきの才能もないし結婚もしていない、期待外れの娘で母親の望みにこたえていない」と泣きだす。

母親は「味の落ちたカニを取ったのはお前だけ。皆は良いカニをとっていた。そこがお前のいいところなの。お前の心が美しいからよ。それは教わっても持てないもので生まれつきのものなのよ」と抱きしめる。

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戦時下の中国、彼女は病気で死ぬ寸前だった。「幸運に見放され不吉な、そして母親の霊魂が後を追ってくるような赤ちゃんを誰がひろってゆくものか」と双子の赤ちゃんの傍で死ぬことは出来ないと金目の物をすべて双子に与えて去ってゆく。双子を捨てた後に彼女は奇跡的に命を救われる。死んだと思っていた双子は今も中国で生きていた。

 

 この映画を因習の中国と自由のアメリカという構図でとらえると大切なものを見失ってしまう。悲しい過去を背負った母親が娘に夢を託す物語なのだ。