眠るように死にたいと誰もが夢見る
2016年、インド、シュバシシュ・ブティヤニ監督
77歳のダヤは何度も同じ夢をみて、自分の死期を悟った。彼はこの世に疲れてしまって、生きることが億劫になったら潔く死を迎え入れよう思っていた。そして死をむかえる人たちが暮らすガンジス河畔の聖地バラナシの施設「解脱の家」に行くと言い出す。家族は反対するがダヤの決心は変わらなかった。仕方なく仕事人間の息子ラジーヴが同行して母なるガンジス河に向かう。
18年間も「解脱の家」に滞在しながら死を迎えることの出来ない女性がいた。ダヤはその女性と親しくなるが、彼女が亡くなるとまるで導かれるようにダヤも死を迎える。「解脱の家」に来てからひと月足らずだった。
死ぬことそのものが誰にとっても最後で最大のドラマだろう。それをコメディタッチで軽くも重くもなく描き、歌も踊りもないインド映画だった。
「婚礼」「葬儀」「料理」など世界は多様な文化にあふれている。そして「死の形」や死の受け取り方もそれぞれの文化によって違うのだろう。この映画では死ぬことはおおきな流れに身をまかせ、眠るように元の場所に「還る」ことにすぎなかった。
高齢化社会になって私たちは長寿が必ずしも幸せでないことを学んだ。死ぬことよりも苦しみながら生き続けることに恐怖を感じるようになった。
私たちに「還る」場所はあるのか。