デビー、家に帰ろう
1868年、テキサス、開拓地の家の扉を開くと荒野に馬上の男の姿が見える。南軍の元兵士イーサンが兄夫婦一家を訪ねてきたのだ。兄の一家はイーサンを大歓迎する。
イーサンが牛泥棒を追っている隙にコマンチ族が兄の一家を襲い皆殺しにする。ところが9歳の娘デビーはコマンチに連れ去られていた。
家族同然に育てられたインディアンの血を引くマーティンとイーサンはともにコマンチにさらわれた姪のデビーを捜す長い旅にでる。イーサンは頑固で一徹な西部男だった。彼は執念深い捜索者となって何年も追い続ける。
「もう白人じゃない、コマンチの女だ」イーサンはデビーを家に連れ戻すのではなく殺すつもりだった。それは肉親への憐憫というものだった。マーティンはそれに強く反発する。
インディアンに捕虜にされた何人もの白人女性たちが助け出されるが、だれもが精神に異常をきたしていた。これがインディアンに連れ去られた白人女性の末路だった。
この映画にはインディアンの残虐と白人の非道、憎しみの連鎖、お互いに理解できない文明の衝突という生々しい時代背景があった。 ここには今の世界にも通じるものがある。
オープニング、開拓地の家の扉が開き、そしてエンディングで扉は閉じられる。イーサンはただ一人、荒野の吹きすさぶ砂塵の中を歩く・・これはまさしく正統派の西部劇だ。しかしその中に社会性を持ち込んだ見事な西部劇でもある。