自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

「抱きしめる」というコミュニケーション

 

言葉の届かない場所

キューズモールで迷子になっていた5歳ぐらいの男の子が見つかって、母親が「ごめんね」と言ったきり、強く抱きしめている場面に遭遇したことがある。二人とも言葉を交わすことなく、騒がしいモールの中でそこだけが静寂で、まるで外国映画のワンシーンのような光景だった。

 f:id:hnhisa24:20191010083828j:plain

学生時代、ある先生に「君たちに赤ちゃんが出来て夜泣きがやまないようなら、赤ちゃんを裸にして母親が抱きしめれば夜泣きはおさまる」と教わったことがある。

やってみると実際その通りだった。

 言葉はとても大切なものだが、言葉だけでは通じ合わないことがあり、また優しい言葉だけでは癒されない傷もある。人には言葉の届かない場所があって「抱きしめる」ことで、その場所に降りていくことができるのではないか。

 

まだ言葉のなかった太古の時代、静寂な暗黒の夜、澄み切った天空には星、一組の男と女が洞窟のなかで身を寄せ合って月を見上げる。飢餓と疫病の暮らしの中で女は子どもを抱きしめていた。

 

古くから「抱きしめる」というコミュニケーションがある。