自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

浮雲 1955年

花のいのちはみじかくて

日本、成瀬己喜男監督

昭和21年初冬、幸田ゆき子はベトナムから荒廃した日本に帰ってきた。

タイピストだったゆき子は戦時下のベトナム農林省技師の富岡と愛人関係だった。

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東京の富岡の家を訪ねると富岡の妻が現れた。ゆき子は富岡と別れ、やがて米兵の情婦になる。その後、何度も富岡と会うが女にだらしなく、見栄っ張りで気が小さく、優柔不断な富岡と別れようとするが出来なかった。その内、富岡は亭主のいる伊香保温泉の女と同棲して事件を起こす。

ゆき子は若い頃に自分を犯した義兄の伊庭のもとに身を寄せる。伊庭は新興宗教の教祖となって羽振りがよかった。

 

ゆき子は「ベラミの主人公は女を梯子にして出世してゆくのに、あなたは女を梯子にするだけ」と、富岡に辛辣な言葉を投げかける。

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ゆき子と富岡は連絡船に乗って屋久島にわたることになる。そこは電気もなく雨の多い国境の島だった。「とうとうここまで来てしまったのね」

 

男と女の「腐れ縁」の物語がテンポよく展開してゆく。いってみればそれだけの映画ともいえるが、一途に思い続け、破滅してゆく女の一生に惹きつけられる。なぜならそこにはたしかに人生というものがあったからだ。(原作は林芙美子、脚色は水木洋子

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吉田喜重監督「秋津温泉」も終戦直前から、17年に及ぶダメ男に惚れた女の「腐れ縁」の物語だった。しかし「秋津温泉」が読み物とすれば「浮雲」は文学だ。

 「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」

 

53年、小津安二郎東京物語」、54年、黒澤明七人の侍」、55年、成瀬己喜男「浮雲」と日本映画のゴールデンエイジだった。