欲しいのは小さな希望
先の見えない閉塞感と錯綜する情報に人びとが不安になり、うろたえている。
私のまわりにもトイレットペーパーや食料品を買占める人や、感染を怖れて5階の部屋に閉じこもる人や、何度も手洗いを繰り返す人がいる。
私は多少の不便はあるが、淡々と暮らしている。ただ体調管理は難しくなった。でも私よりもっと大変な思いをしている人がたくさんいると思う。
とりあえず「人との接触を断つ」ことがいちばんの対策で、簡単にできそうな気もするが、経済問題や、いろいろな事情があってけっこう難しい。不思議なのはアメリカやヨーロッパの国々に比べて日本の死者数があまりに少ないことだ。
歴史をみればウイルスはいつか消滅するが、ただ経済的損失と人的被害がどれほどになるかだ。消滅してもまた別のウイルスがあらわれるだろう。人類はそうやって進化してきたような気がする。
スポーツジムに通い水泳をしているが、3月に中止されていたプログラムが一部、再開されたことがあった。園児や小学生のスイミングスクールも再開された。
閑散としていたプールが突然、にぎやかになり、今まではうるさいとしか思っていなかった子供たちの歓声が、私を力づけた。隣で泳いでいた女性が「なんだか嬉しい」と私に言った。
その「小さな希望」も4月7日の緊急事態宣言で消えてしまった。
欲しいのはそんな「小さな希望」だが、まだやってこない。
今日は西城秀樹の誕生日。
「・・♪YMCA YMCA ゆううつなど吹き飛ばして 君も元気出せよ そうさYMCA・・♪」