中島らもの世界を測る物差しが見当たらない
規格外の男、中島らもにも師匠がいた。
「先生ごぶさたしています」「おう、中島か、何や」「何やって、先生がこの前、たまには顔でも見せんかバカ、って電話くださったから」「ふうん、で・・・何しにきた」「何しにって、だから・・・」「用がないなら帰れ」
朝日新聞に連載中の「明るい悩み相談室」に相談があった。
「私はおばあちゃんに昔、じゃがいもの焼いたのにミソをつけて食うと死ぬぞっ、とおどされました。・・・じゃがいもにミソをつけて食べると死ぬのかどうか知らずに私は死にたくありません、ぜひ教えてください」
あんまりアホらしい相談にこう答えている
「じゃがいもの焼いたのにミソをつけて食べると死ぬというのはほんとです。・・・現に私の知人のおじいさんも、九十八歳で亡くなるいまはのきわに、『ああ、あのとき、十六のときにじゃがいもの焼いたのにミソをつけて食いさえせなんだら死なずにすんだものを』と絶叫しながらみまかったということです」
「俺のオヤジは当時、内村鑑三の提唱する『無協会派』のキリスト教徒だった。その人に何を思ったのか十二歳の僕が『般若心経』を贈ったのだ。オヤジはそれからしばらくしてキリスト教を捨て、仏教に帰依してしまった」
ラリリのフーテン、薬物中毒者、アル中、躁うつ病患者だった中島らも、その体験談は実にユニークで、私が100年生きてもこんな体験はできないだろう。
彼は2004年、52歳で亡くなった。どのような人生だったのだろう。