ノスタルジックで耽美的な幻影
日本 黒沢清監督
1940年の神戸、貿易会社を経営する福原優作と妻の聡子は裕福な暮らしをしていた。優作は満州で関東軍が細菌兵器の実験を続けていると知り、機密書類をアメリカで公表して、アメリカを参戦させようと考えていた。
それは売国奴のすることだと聡子は反対するが、やがて「スパイの妻」として優作と運命を共にする。憲兵隊は優作たちに疑惑を持ち監視していた。
仮面の女が金庫を開けようとするシーンからこの映画には妖しい雰囲気が漂っていた。
雑誌「新青年」の作家たち・・江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作、久生十欄などの耽美的な幻影の世界を思わせる映画だった。大正モダニズムの爛熟した文化の香りがした。
映画館が立ち並ぶ新開地の歓楽街、山中貞雄監督の「河内山宗俊」、有馬の木造の宿屋、細菌兵器の実験を映した粗いフィルム、異国情緒の洋館、どこか遠い夢を見ているようだった。リアリティのある物語とはとても思えなかった。
私は夢を見ていたのだろう、やがて夢から覚めるときがきた。
1945年3月、聡子は精神病院に収容されていた。「私は一切狂っていない、でもこれが私は狂っているということなのです、きっとこの国では」
そして病院が空襲にあい「戦争に負ける、戦争が終わる、お見事です」と聡子はつぶやく。どちらもはっとする言葉だが、ここに深い意味があるとは思えなかった。
私にとっては雰囲気を楽しむ映画だった。