有名であれ 無名であれ「秋のテープ」
沢木はラジオのインタビュー番組で、高倉健とは「北海道の牧場」で吉永小百合とは「「修善寺の温泉宿」中島みゆきとは「新宿のうどん屋」・・そして美空ひばりとは「赤坂プリンスホテル」で対談が行われた(84年3月)
その席で美空ひばりは快活で楽しそうにしゃべり続け、軽い調子で歌をうたってくれた。
89年にひばりが亡くなり、90年12月号「月刊カドカワ」に沢木は対談のテープを聴きながら語っている。
ひばりは岡林信康や黒田征太郎たちと新宿のゴールデン街で飲んだことを懐かしく語りだす。「彼女にとっては宝物のような思い出になっているのかもしれない」と沢木。
そしてひばり宅に泉谷しげると岡林信康が泊まったことについて「3人枕を並べて寝たの・・私は端っこに寝たの・・わたし岡林信康と手をつないで寝たのよ」修学旅行のようだった。
「こういうことをいっぱいしたかったわね。沢木さんにさらっと話せるようなことをね」
「この夜のことを、・・これまでの人生で最も貴重な出来事だったというに近い感動を込めて語らなければならない、美空ひばりという人の寂しさを、痛ましいな、と私は思った。この時、初めて美空ひばりが私にとって何者かになった」と沢木は書いている。
対談後、美空ひばりは「今度また会いたいわね・・元気になったら一緒にお酒を呑んでね」と言った。
「肺結核で末弟を失い、さらにその翌年には両側大腿骨頭壊死で入院を余儀なくされた。昭和六十三年には東京ドームで奇跡の復活を成し遂げる。しかし、その一年後には順天堂大学病院に入院し、ついに退院することはかなわなかった」
享年52歳。
美空ひばりのことをほとんど知らなかったが、なんだか少し身近になったような気がした。