自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

沢木耕太郎「流星ひとつ」

藤圭子へのインタヴュー

1979年秋、沢木耕太郎(31歳)は引退直前の藤圭子(28歳)にホテルニューオータニのバーでウォッカの杯を重ねながらインタヴューをした。

インタヴューは無事に終わったが、当時、沢木はノンフィクションの「方法」について強いこだわりがあり、一切、地の文を加えずインタヴューの会話だけで描き切るという方法をとった。

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しかし藤圭子という想像できないほどの純粋さをもった女性を描き切れていないと、沢木は出版を断念した。そして手書きの原稿を一冊の本の形にしてアメリカの藤圭子に送った。

「自分は出版してもいいと思うが、沢木さんの判断に任せる」と返事が来た。その後、「流星ひとつ」のあとがき、大好きですという手紙が届いた。

 

それから30年以上が過ぎた2013年8月22日「藤圭子が新宿のマンションの13階から飛び降り自殺」をしたと知る。

 

娘の宇多田ヒカルは「・・彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。・・幼い頃から母の病気が進行するのを見ていました。・・・悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。・・」とコメントした。

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沢木は「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげく投身自殺をした女性」という一行で片づけることのできない、輝くような精神の持ち主が存在していたと、30年以上も封印していた「流星ひとつ」の出版を決意する。

 

新潮社の若い女性編集者は「この本を宇多田ヒカルさんに読ませてあげたい」

そこには28歳の藤圭子の輝きがあったからだ。