自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

平安京とオーロラ

 

以前、三十三間堂から裏道を通って清水寺まで歩いたことがある。途中の山の中腹に突然、巨大な墓地が見えてきた。

その昔、京の都では戦や疫病や飢餓で多くの命が失われた。そんな平安京にもしオーロラが現れたとしたら。

元村有希子「科学のミカタ」にはこのようなことが書かれている。

 

鎌倉時代に活躍した歌人藤原定家の「明月記」には「赤気」と呼ばれる天然現象の様子が記されている。西暦1204年2月のことだ。また中国の歴史書「栄史」の1200年2月の記録には「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれている。

 

1200年ごろの地磁気の軸の傾きは、現在とは逆に日本列島側に傾いており、過去二千年で最もオーロラが出現しやすい状態だった。当時は太陽の活動が活発でオーロラの発生に適していたことも分かった。

当時の人にとってオーロラは不吉なことの前ぶれだった。日食や月食だって当時は怖れられた。

鎌倉時代、オーロラという怪奇現象に人々は驚き、天変地異が起こると恐怖にとらわれただろう。

晴れた五月、三十三間堂から清水寺、「千年の古都」を散策したくなった。