自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

戦場のピアニスト、2002年

ホロコーストを体験したピアニストの物語

フランス、ドイツ、ポーランド、イギリス、ロマン・ポランスキー監督、150分

ナチスドイツ侵攻下のポーランドで生きた実在のユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの自伝を映画化した。彼は2000年、88歳で亡くなった。

1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻した。ワルシャワのラジオ局でピアノの演奏をしていたシュピルマンユダヤ人の迫害の危険を感じるようになる。

やがて家族ともどもユダヤ人として強制収容所に送られそうになる。ユダヤ人の警官の計らいで家族から離れ、生き延びることになる。友人たちの助けを借りながら必死で身を隠して生き延びることだけを考えていた。その間、ナチスドイツの残虐非道な行いを目撃する。多くの同胞たちが殺されてゆく。ある場面では、「私たちはどこに行くんですか?」とドイツ兵に質問しただけの女性が、即座に銃殺されてしまった。

 

経験した者でしか分からない情感のある小さなエピソードの積み上げ。大量のエキストラを使い、まるで当時を再現した映像。

1944年8月1日。反ナチス地下活動組織は、ワルシャワ蜂起を起こし都市防衛警察に攻撃を仕掛けた。それに対してナチスドイツの大規模な掃討作戦が始まった。

 

ナチスに抵抗する人々、旧知の人々らの協力を得て、隠れ家を移りながら、命を繋ぐ。
ワルシャワ蜂起が始まり、戦場となった街が、灰燼と帰していく。そんな中で必死に生き延びようとするシュピルマン

しかしある日、シュピルマンはドイツ軍将校に見つかってしまう。ピアニストだと言った彼はショパンの「バラード第1番」を弾く。

彼は周囲の人たちに助けられるばかりで、悪条件の中で、生き抜く知恵も気力も勇気もなかった。彼が生き延びられたのはほとんど奇跡に近いものだったが、彼にとってピアノは生きる支えになっていた。

一度は消えたピアノの音が蘇り、強い生への欲望、その未来への希望へと繋がるピアノ曲で綴られる物語だった。