自然界に善悪はない
1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で人気者の青年チェイスが変死体で発見された。彼と付き合っていた「湿地の娘」カイアへの偏見があり、容疑者として裁判にかけられる。
ここからカイアの回想と法廷での裁判が交互に描かれる。
カイアが6歳の頃、彼女は両親、兄姉たちに去られてしまい、学校にも通わず、湿地帯でたった一人生き抜いてきた。湿地帯の自然が彼女に生きる術を教えてきたのだ。お金がなくなったカイアは早朝、ムール貝をとり黒人夫婦が営む食料品店に売りに行くのだった。
青年テイトから読み書きを教えてもらい、恋愛感情を抱き、カイアは絵の才能を開花させる。しかし大学生になったテイトとはいつしか音信が途絶えてしまう。寂しさのあまりカイアはチェイスと親しくなってゆく。しかし彼には婚約者がいた。
ミルトン弁護士の巧みな弁舌で裁判は有罪と無罪の間で揺れ動いていた。
何故、カイアが年老いて亡くなってしまうまで描かれていたのか。それは「湿地は死を理解している、死を悲劇にしない」からではないだろうか。
湿地と沼地の風景と多くの生き物たち、自然描写の素晴らしさに驚く。裁判劇、ミステリー、ラブロマンスの要素もあり、テンポもよい作品だった。エンディングに流れる主題歌の美しい事。
「湿地は沼地と違い光の世界だ、水は緑を育み、空へと流れてゆく」
ちなみに「ザリガニの鳴くところ」というのは生き物たちが自然のままの姿で生きている静寂な場所。ディーリア・オーエンズの同名小説を映画化。