自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

シオドア・スタージョン「孤独の円盤」

宇宙からのメッセージ

海辺に流れ着いた壜の中のメッセージはどこかミステリアスな気がする。どのような願いと祈りが込められているのだろう。

 

孤独な人が瓶のなかに「寂しくて死にたい」というメッセージを入れて海に流した。長い年月の末、たまたま海辺でその瓶を見つけた人がそのメッセージを読んだ。

じつはその瓶を見つけた人も孤独だったので、瓶が流れてきた海の彼方をみつめて「だれが流したのだろう」と思った。

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もしこれが地球の海ではなく、宇宙空間だったとしたらどうだろう。

遠い宇宙の果てにも孤独な人がいた。その人も地球人と同じように祈りを込めてメッセージを流した。もちろん宇宙空間なので瓶ではなく小さな円盤にメッセージを託して流したのだ。

もしあなたの頭の上に小さな円盤が飛来したとしたら、それはメッセージの入った円盤かもしれない。だから怖れる事はない。

「いちばんさびしい人へ・・宇宙にはあなたよりさびしい者が存在する」これが宇宙からのメッセージだった。

 

シオドア・スタージョンの短編「孤独の円盤」は「孤独にも終わりがある。充分に長いこと、充分に孤独であった人には」という文章で終わっている。

ヤコブへの手紙 2009年

ほんのささやかな物語

フィンランド、クラウス・ハロ監督

1970年代のフィンランド終身刑のレイラは恩赦によって12年の刑期で出所してきた。行く当てのない彼女は盲目のヤコブ牧師のもとで働く。

仕事はヤコブ牧師宛に届いた手紙を読み、返事を書くことだった。しばらく経って恩赦を請求したのはヤコブ牧師だったという意外な事実が分かる

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毎日、牧師への相談の手紙が届きレイラはそれを読むが、いいかげんうんざりしてくる。ところがある日からばったりと手紙がこなくなる。手紙を読むことだけが生き甲斐だった牧師は気力をなくしてゆく。

「人のために祈るのが私の使命、誰も私を必要としていないのなら、神も私を必要としていない」と嘆く。

レイラは「私も恩赦など頼んでもいなかった、あなたの自己満足」とヤコブ牧師を冷たく突き放す。

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レイラは牧師館を去ろうとするが、思い直して手紙が届いたと嘘をつき、手紙を読むふりをして自分の身の上を語る。そしてなぜ人を殺したのかを話す。

その話を聞いて牧師は何も言わず手紙の束を持ってきた。その手紙の束は同じ人物が長い間、送り続けてきたものだった。ヤコブ牧師はその手紙の差出人の願いを聞き入れて恩赦を申請したのだった。

そしてレイラに読むように促す。手紙を読んだレイラの眼から涙がこぼれた。やがて彼女はヘルシンキに向かう。

 

フィンランドの誰も訪れることのない寂れた牧師館が、このささやかな物語にはふさわしい舞台だった。

主な登場人物はレイラ、ヤコブ、郵便配達人の3人だけで、しかも76分という小品だが余分なものをそぎ落とした端正な逸品。

浮雲 1955年

花のいのちはみじかくて

日本、成瀬己喜男監督

昭和21年初冬、幸田ゆき子はベトナムから荒廃した日本に帰ってきた。

タイピストだったゆき子は戦時下のベトナム農林省技師の富岡と愛人関係だった。

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東京の富岡の家を訪ねると富岡の妻が現れた。ゆき子は富岡と別れ、やがて米兵の情婦になる。その後、何度も富岡と会うが女にだらしなく、見栄っ張りで気が小さく、優柔不断な富岡と別れようとするが出来なかった。その内、富岡は亭主のいる伊香保温泉の女と同棲して事件を起こす。

ゆき子は若い頃に自分を犯した義兄の伊庭のもとに身を寄せる。伊庭は新興宗教の教祖となって羽振りがよかった。

 

ゆき子は「ベラミの主人公は女を梯子にして出世してゆくのに、あなたは女を梯子にするだけ」と、富岡に辛辣な言葉を投げかける。

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ゆき子と富岡は連絡船に乗って屋久島にわたることになる。そこは電気もなく雨の多い国境の島だった。「とうとうここまで来てしまったのね」

 

男と女の「腐れ縁」の物語がテンポよく展開してゆく。いってみればそれだけの映画ともいえるが、一途に思い続け、破滅してゆく女の一生に惹きつけられる。なぜならそこにはたしかに人生というものがあったからだ。(原作は林芙美子、脚色は水木洋子

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吉田喜重監督「秋津温泉」も終戦直前から、17年に及ぶダメ男に惚れた女の「腐れ縁」の物語だった。しかし「秋津温泉」が読み物とすれば「浮雲」は文学だ。

 「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」

 

53年、小津安二郎東京物語」、54年、黒澤明七人の侍」、55年、成瀬己喜男「浮雲」と日本映画のゴールデンエイジだった。