自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

國友公司「ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活」

どっこい生きている

西成区の4人に一人が生活保護受給者だが、あいりん地区だけをみれば割合はもっと高く、貧困ビジネスが横行する。元ヤクザやホームレスやシャブ中が徘徊し、社会からドロップアウトした人たちが暮らす町。

新世界国際劇場はオカマの魔窟、指名手配犯、頭のおかしい人、身の上話は嘘ばかり、解体現場では人が死ぬ、スーパー玉出の化学物質のたっぷり入った弁当、ドヤ(簡易宿泊所)は注射器が散乱、金を稼いでも大東洋のサウナや博打につかってしまい、また西成に戻ってくる。

何をするわけでもなくただ歩いている人たち、煙草一本を25円で売ってくれと言うホームレス。覚せい剤の密売所を襲う男たちがいる。

 

著者の國友は「自暴自棄といえばそれまでだが、彼らはどうしようもない運命を受け入れながら生きている」「この街にいる人間を見下していると言えばそうかもしれないが・・」とあとがきに書いている。

私も西成あいりん地区を何度か訪れたことはあるが、いつも昼間であり、ただ散策したという程度だった。もちろん線路沿いの通称「どろぼう市」や旧遊郭飛田新地も覗いたことがある。

夏の日、男が路上に横たわってまな板の鯉のように痙攣していたのを見たこともある。周りの人はただ通り過ぎてゆくだけだった。誰も救急車を呼ばなかった。

 

今年の初詣、今宮戎神社からその界隈を歩いてみた。通天閣ジャンジャン横丁は観光客が多かった。西成も外国人旅行者のゲストハウスなどが増えて今は変わりつつある。

ストックホルムでワルツを 2014年

スウェーデン語で歌う「テイクファイブ」

スウェーデン、ペール・フライ監督

スウェーデンの女性ジャズシンガー、モニカ・デタールンドの半生を映画化した。

1960年頃、ストックホルムから離れた田舎町ハーグフォッシュで電話交換手として働きながらバーで歌うシングルマザー、モニカ。

彼女は5歳の娘エヴァ=レナと両親と暮らしていた。

ある日、ニューヨークに呼ばれる。憧れていたエラ・フィッツジェラルドに歌を聴いてもらうが「誰かの真似ではなく、自分の気持ちで歌ったらどうなの」と言われる。今までの自分の成功は砂上の楼閣に過ぎなかった。

 

モニカは気持ちを込めるためジャズを英語ではなく母国語で歌おうとする。バーの片隅で「テイクファイブ」をスウェーデン語で口ずさむと自分の気持ちにぴったりとした。このシーンは実に秀逸だった。やがて実力も人気も兼ね備えたシンガーになってゆく。

しかし自分勝手すぎて歌や男で失敗をくりかえし、酒とタバコに溺れてゆく。父親はモニカのわがままな生き方を許さなかった。

 

ニューヨークでビル・エヴァンスと共演するというチャンスをつかみ「Waltz For Debby」をスウェーデン語で歌う。それがスウェーデンのラジオでも流れ、両親が聴いていた。

 

かつてミュージシャンだった父は夢への挑戦を諦めた。しかしモニカは高い木に登り、そこから見える広い世界で成功したいという夢に挑戦した。そしてジャズとワルツを母国語で歌った。

人生は、時々晴れ 2002年

人生は前にしか進まない

イギリス、マイク・リー監督

サウスロンドンの公営住宅に住む労働者階級の3家族を中心にストーリーが展開する。それぞれの家族は問題を抱え、どこか共感できない人ばかりだった。

タクシー運転手のフィル一家、妻ペニーはスーパーのレジ係、内気な娘レイチェルは老人ホームの清掃係、反抗的な息子ローリーは無職だった。誰もが疲れて、生きる気力もなく、貧しい生活に不満を持っていた。しかもフィルとレイチェルとローリーは肥満体で見た目もさえなかった。

 

ある日、ローリーが心臓発作で倒れ、病院に運ばれる。この出来事からフィルとペニーは今までのうっ憤をはらすように諍いを始め、二人は思いのたけをぶちまける。

かつては貧しくても愛があった。お互いの愛がなくなれば不幸になるだけだった。

フィルが「もう俺を愛してないだろう」と責めると、ペニーは「昔はもっと笑わせてくれたわ」

 

最初、この映画に魅力ある人間は出てこない。好感の持てない人ばかりだったが、ラストに近づくにつれて彼らの良さに気づく。

 

人生は前にしか進まないものだ。ダメな家族がダメなりに前に進んでゆこうとする姿に少しの希望があった。

おそらくイギリスの労働者階級の暮らしはこのようなものだろう。