自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

トランス・ワールド 2011年

「Enter Nowhere」どこにも行けない

2011年、アメリカ、ジャック・ヘラー監督 

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田舎町の食料品店を襲う男女2人組。店主に向かって銃を撃つ。

 深い森の中をさまよう3人の男女、サマンサ、トム、ジョディは廃屋のような小屋で初めて出会う。この森では不思議なことにどこまで歩いても元の小屋に戻ってしまう。ここは閉じられた空間で3人はこの森から抜け出すことが出来なかった。

 

この森の場所はウィスコンシンサウスダコタニューハンプシャーだ、と3人それぞれの言う事が食い違っていた。その上、今の時代も1962年、1984年、2011年と違っていた。

そこになぜか大戦中のドイツ軍兵士が現れる。4人を結ぶものは一つの首飾り(ロケット)だった。

 またしても男女2人組が田舎町の食料品店を襲う。そして店主に向かって銃を撃つ。

 これではどんな物語か分からないだろうがそれでいい。お楽しみはこれからだ。 

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夜の見世物小屋で摩訶不思議な異界に紛れ込んだような気分。もしくは奇妙な世界を題材にしたSF小説を読んでいるような気分。

舞台のほとんどが森の中という低予算ながらけっこう波乱や意外性もあり、最後まで飽きる事のない面白い娯楽作に仕上がっていた。

アウェイ・フロム・ハー 

クマが山を越えて見つけたもの

2006年、カナダ、サラ・ポーリー監督

原作はアリス・マンローの短編「クマが山を越えてきた」

 アルツハイマーにおかされたフィオーナは「一度忘れるとすべて消えてしまう。自分が消え始めていく。ついに来たのよ」

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夫のグラントは気がすすまなかったが、フィオーナは自分から介護ホームに入居する。しばらくたつとフィオーナは車いすの男オーブリーに好意をもち、彼の世話をすることに喜びを見出すようになる。グランドが面会に来ても「あなたはどなた」もう夫だという事は分からない。妻の幸せそうな様子を見て夫は「妻を自由にさせたい、あの男に恋している」

 

グラントはかつて大学教授で「美しい娘たちに片っ端から手を出してきた」フィオーナはその事を忘れなかった。「でも私を捨てなかった」

 グラントはもしかしたらフィオーナは自分を罰するために芝居をしているのではないかと疑う。オーブリーがホームを去ってしまうと、フィオーナは気力をなくし、みるみるうちに病状が悪化する。

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グラントは44年の結婚生活を振り返り「悪い人生ではなかった」と女性看護士に話す。ところが女性患者たちの最期を看取ってきた看護士はこう言う。「悪い人生ではなかったと思うのは男だけで、女は違う」

 

一時的に記憶が蘇ったフィオーナは面会にきた夫に「逃げればいいのに。私を捨てて立ち去ればよかったのに」と涙ぐむ。夫は「そんなことできないよ」と抱きしめる。

スロウ・ウエスト 2015年

西部の歩き方

2015年、イギリス、ニュージーランド、ジョン・マクリーン監督

 スコットランドの貴族で16歳のジェイは「西部の歩き方」という手引書を携え、愛する女の後を追ってスコットランドからアメリカ西部に渡った。女の名前はローズ。

 

1870年、コロラド準州、ジェイは恋人のローズを追ってアメリカ西部にやってきた。彼は賞金稼ぎのサイラスとともにローズとその父親の住むシルバー・ゴーストの森へと向かう。ところがローズと父親には2000ドルの懸賞金がかけられていた。その賞金を目当てに他の賞金稼ぎたちもローズたちの住む小屋に向かっていた。 

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ヨーロッパから貧しい移民たちがただ生き抜くためだけに故郷を捨て、アメリカ先住民の住む広大な土地に向かった。ゴールドラッシュもそれに輪をかけた。

先住民狩りという虐殺、放浪する男は「西部に夢はあるが苦労ばかり」、食いつめて荒野の交易所に押し入った夫婦は反対に殺されてしまう、残された二人の子供は荒野に置き去りにされたまま・・・開拓者魂などどこにもなかった。

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荒野の澄み切った夜空を眺めながらジェイはペガサス、大熊座、りゅう座アンドロメダ、オリオン座と天空に輝く星座の名前をつぶやく。今までの西部劇にはなかったシーンだ。

 

伝統のスコットランドの空気を、そのまま暴力的で自由なアメリカ西部に持ち込んだ新しいスタイル、斬新な感性で作り上げた英国製の軽やかな西部劇。

ピート・ハミル「ニューヨーク・スケッチブック」

ニューヨークを舞台にした34の短編

最後の一編を少しアレンジしてみた

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老女優は毎日、プラザホテルで昼食をとっていた。そこは果敢に時の流れに抗しているので彼女のお気に入りのホテルだった。彼女の肌にはしわができカサカサになっていた。もう昔のような若い姿に戻ることができないと思った瞬間は恐ろしかったが、今はもうそのことを受け入れている。

老女優がふと目をあげると顔見知りの老映画監督がドアから入ってきた。片目に黒い眼帯をしていたがもう一方の目も悪くなったと、なにかで読んだことがあった。彼の隣にはテープレコーダーをもった青年がなにかインタビューをしているようだった。

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老女優はその老監督と若い頃に海ぎわのホテルでともに一夜を過ごしたことを思い出す。あのテーブルに行って挨拶するべきか迷ったが、こんなに歳をとっていたら私とはわからないだろうと思って立ち上がろうとしたら、老監督がテーブルのかたわらに立っていた。

 老監督が低い声で「やあ、バスター、きれいだね、相変わらず」

 

老女優は声もなく彼の胸に顔を押しつけながら考えていた・・・これから二人で車を借り、海ぎわにでかけ、ロブスターを食べ、軽くダンスをし、それから、そう、ともに一夜を過ごすことができないものか、と。

 

「ニューヨーク・スケッチブック」にふさわしい粋な話だと思いませんか。映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作も収められている。

パレード 2010年

ポジからネガへの反転

2010年、日本、行定勲監督

 東京、ルームシェアをする男女4人、映画会社に勤める28歳の直輝、21歳の大学生良介、23歳の無職琴美、24歳のイラストレーター兼雑貨屋店長の未来。そこに18歳の男娼サトルが加わって5人になる。近くで起こっている残虐な連続女性暴行事件が連日、テレビで報道されている。 

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「この部屋はチャットか掲示板のようなもの、居心地が良ければいたらいいし、嫌になればでていけばいい、自由な空間よ」「上辺だけの付き合いだが、それが楽しい」

煩わしい人間関係は苦手で、かといって孤独になるのは怖い、そんな5人の共同生活。

5人は毎日がお祭りかパレードのように愉快に暮らしていた。まさか5人が心に闇を抱えているとは見えなかった。

 

ルームメイトの一人が連続女性暴行犯だった。それでも他の4人は何事もなかったかのように、今まで通り旅行に出かける相談をする。4人は自分たちの異常性に気づいていなかったのだ。その事にいちばん驚いたのは暴行犯自身だった。俺だけじゃなく奴らもどこか狂っている。

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無表情で仮面のような彼らの本当の顔が映し出されたとき、突如として世界が陽画(ポジ)から陰画(ネガ)に反転したような気がした。この見事なエンディングには痺れるような痛みがはしった。薄い狂気が彼らを覆っていた。

 

全編にもうすこし緊張感があればもっといい映画になっただろう。