自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

彼女が消えた浜辺 2009年

映画で貴重な異文化体験

イラン アスガー・ファルハディ監督

オープニング、狭い郵便ポスト口に次々と郵便物が入れられる。光のささない部屋からそれを見ている私たち・・閉じ込められているのか。

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セビデーは友人3家族との三泊のバカンスに保育園の先生エリを誘う。浜辺の別荘で食事をとり、ゲームやバレーボールで楽しんでいた。

ところがエリは一泊のつもりで来ていたので、帰ろうとするが、セビデーは離婚したばかりの男性アーマドとエリを結び付けたいために彼女を誘ったので引き留める。

 

浜辺で遊んでいた子どもが海で溺れてしまう。全員でなんとか救助するが、気がつくとエリが消えていた。子どもを助けようとして彼女も溺れたと思い、必死で捜すが見つからない。

その内、もしかしたら黙って帰ったのかもしれないと考え始める。救助しようとして溺れたのか、それとも無断で帰ってしまったのか分からない。一体、彼女はどこに消えたのか。その上、警察に訊かれてもだれもエリの本名を知らなかった。

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エリが消えたことで家族や夫婦の間で責任のなすりつけ合いや諍いが起こる。

彼女の携帯の通話履歴から電話すると出てきた男は兄だという。ところがその男はエリの婚約者だった。

イランでは婚約者のいる女性に男性を紹介する事は許されないことだった。

迷いに迷った末、セビデーは婚約者に嘘をつく。それはエリの女性としての名誉を汚してしまう事だった。

 

前半の会話や行動がすべて伏線になっていた。「神隠し」という言葉を思い出させる奇妙な感触のヒューマン・ミステリーだった。

 

私たちは貴重な異文化体験をする。そして次作の「別離」でさらに深く異文化を体験する事になる。