自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

カポーティ 2005年

「冷血」の誕生

アメリカ ベネット・ミラー監督

1959年11月カンザス州ホルマカムで一家4人が惨殺される事件がおきた。新聞記事を読んだ作家のトルーマン・カポーティは興味を持ち、女性作家のネル・ハーバー・リーと共に現地に飛び警察で事件の取材をする。

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やがて犯人として二人の男が逮捕される。カポーティはそのうちの一人ペリーの取材を進めてゆくうちに、この事件を雑誌の記事ではなく本にしようと考える。ノンフィクション小説として新しい分野を切り開き、文学の流れを変える傑作になると確信したのだ。タイトルは「冷血」だった。

 

ペリーの姉に取材すると「彼は握手するように簡単に人を殺す」から気を付けてと言われる。やがてペリーとカポーティの間に友情に似たものが生まれ、ペリーから日記を渡され読み始める。そしてペリーが自分と同じような境遇で育ったことを知る。

カポーティはネルに「ペリーと私は同じ家で育った。でも世の中への出方が違った。彼の場合、裏口から私は表玄関からだった」と話す。

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カポーティは裁判を長引かせ、犯人たちへの取材を続けるために弁護士を雇う。ところが何度も再審を繰り返し、小説の結末を書ことができなくなりカポーティは精神不安に陥る。1965年4月14日、犯人二人は絞首刑になりやっと結末を書くことができた。

カポーティはネルに彼らを助けられなくて残念だったと話すが、ネルは「救いたくなかったのでしょう」と平然と言い放つ。彼女はカポーティの本心を見抜いていたのだ。

 

「冷血」は大きな反響を呼び、傑作と言われた。しかしその後、カポーティは長編小説を完成させることが出来ず、アルコール中毒で1984年、59歳で亡くなった。

 

裏口から出たペリーは絞首刑にあい、表玄関からでたカポーティアルコール中毒で死んだ。残ったのは「冷血」だった。