自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

少年から大人に変わる時

 徳永英明「壊れかけのRadio」

「♪思春期に少年から大人に変わる 道を探していた汚れもないままに・・♪」

 もちろん人によってさまざまだろうが、男はいつ少年から大人に変わるのだろう。

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ずいぶん前の話だが、淡路島で田舎生活をしている遠い親戚の家で長い夏休みを過ごしたことがある。

 私はその田舎の家に住み、神社の回廊で寝ころびながら宗教書を読み、知り合った女の子たちとお城見学、山道の野イチゴを摘み、搾りたての濃い牛乳を飲み、と田舎の生活を満喫していた。

そんな日々を一週間ほど過ごした後、旅館のアルバイトを勧められて江井の旅館に住み込むことになった。その旅館はいわゆる中学生相手の臨海学校というようなところで海辺の近くにあり夏の間だけ開業していた。その旅館で40日間アルバイトをした。

 

私はいつの間にか旅館の「番頭さん」になり、学校の先生や様々な職業の人たちと知り合い、初めて経験したこともたくさんあった。そして長い夏休みが終わった時、私は17歳から18歳になっていた。淡路島を去る日、少年から大人になったような気がした。

 

時間は緩やかにそして確実に過ぎ去ってゆく。気づかないうちに少年は大人になるものかもしれない。

東京暮色 1957年

人生は思い通りにはいかない

1957年、モノクロ、日本、小津安二郎監督

 銀行員の杉山は男手一つで二人の娘を育て上げた。姉の孝子は夫と離婚寸前で実家に戻ってきており、妹の明子は遊び人たちと付き合い、その内の一人と肉体関係を結び、妊娠していた。母親はずっと以前に男と出奔して満州に渡っていたが、いつの間にか東京にもどり麻雀屋を営んでいた。 

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小津監督作品とは思えないような暗く、救いのない悲劇だった。それなのになぜか軽快な音楽にのせて物語はすすんでゆく

一般的に失敗作と言われているが、私はとてもいい作品だと思っている。その理由の一つが有馬稲子原節子山田五十鈴、3人の女優の演技によって、いつもの小津作品の世界とは違う世界があらわれ、それは一つの驚きだったからだ。特に山田五十鈴の強烈な存在感には圧倒された。

東京物語」が陽だとすれば「東京暮色」は陰で、現実の家族とは陰と陽が入り混じったものだろう。今までの小津作品の心地いい家族がどこか絵空事のように見えてくる。

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映画の底に流れているものは父親、孝子、明子、母親たちの「どうしようもない」という無力感だった。

 

家族がバラバラになった後、何事もなかったようにいつも通り仕事に出かける父親の後姿に「人生は思い通りにはいかない」と思わせるものがあった。そこに斎藤高順の美しく軽やかな曲が聴こえてくる。これが大きな救いになっていた。

トランス・ワールド 2011年

「Enter Nowhere」どこにも行けない

2011年、アメリカ、ジャック・ヘラー監督 

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田舎町の食料品店を襲う男女2人組。店主に向かって銃を撃つ。

 深い森の中をさまよう3人の男女、サマンサ、トム、ジョディは廃屋のような小屋で初めて出会う。この森では不思議なことにどこまで歩いても元の小屋に戻ってしまう。ここは閉じられた空間で3人はこの森から抜け出すことが出来なかった。

 

この森の場所はウィスコンシンサウスダコタニューハンプシャーだ、と3人それぞれの言う事が食い違っていた。その上、今の時代も1962年、1984年、2011年と違っていた。

そこになぜか大戦中のドイツ軍兵士が現れる。4人を結ぶものは一つの首飾り(ロケット)だった。

 またしても男女2人組が田舎町の食料品店を襲う。そして店主に向かって銃を撃つ。

 これではどんな物語か分からないだろうがそれでいい。お楽しみはこれからだ。 

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夜の見世物小屋で摩訶不思議な異界に紛れ込んだような気分。もしくは奇妙な世界を題材にしたSF小説を読んでいるような気分。

舞台のほとんどが森の中という低予算ながらけっこう波乱や意外性もあり、最後まで飽きる事のない面白い娯楽作に仕上がっていた。