自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

DEARフランキー 2004年

真珠の輝き

イギリス、ショーナ・オーバック監督

「小品」と言われる映画が好きだ。ダイヤモンドほどの輝きはないが、真珠のような品のいい輝きがある。「DEARフランキー」もそんな小品の一つだ。

イギリスの港町、リジーは暴力的な夫から逃れるため、9歳の息子フランキーと母親をつれて引っ越しを繰り返していた。フランキーは難聴で補聴器をつけ、言葉は話せなかった。父親は長い航海に出ていると教えられ、フランキーは父親の顔さえ知らなかった。リジーは父親のふりをしてフランキーと手紙のやり取りをしていた。

 

フランキーは父親からの手紙だと信じていた。そして一生懸命に返事を書いていた。その返事はリジーにとっては聴くことのできるフランキーの唯一の声だった。

 

ところが父親の乗った船が町に寄港することになり、フランキーは父親に会えると友達に話すが、自分を嫌っていて会いに来ないのではないかという不安もあった。嘘をついていたリジーは途方に暮れる。

仕方なく勤め先の女主人に紹介してもらった名前も知らない男に謝礼を払って一日だけの「父親役」を依頼する。

ダンス会場でリジーの好きな曲が流れると、「父親役の男」はダンスに誘う。

「♪・・昔、若かった頃、運命の人を夢見ていた・・私に愛を運んでくる・・♪」幸せそうに踊る二人、それを見つめるフランキーも幸せだった。

「私は噓つきの母親よ」「君はフランキーを守っている」男は役目を終えると去ってゆく。一体、彼は誰なのか。

 

ジーとフランキーは桟橋から海を眺める、静かな感動が波のように押し寄せてくる。

アイダよ、何処へ? 2020年

スレブレニツァの虐殺

ボスニア・ヘルツェゴビナオーストリアルーマニア、オランダ、ドイツ、ポーランド

フランス、ノルウェー

ヤスミラ・ジュパニッチ監督

妻であり母であるアイダの目を通してスルプスカ共和国軍によるジェノサイドの全貌を描いた作品。

1995年7月、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期、スレプレニツァの町がムラディッチ大将率いるスルプスカ共和国軍(セルビア兵)によって占拠され、民間人たちは国連基地に逃げ込んできた。

 

国連平和維持軍の通訳アイダは夫と二人の息子を助けようと奔走する。国連は弱腰でセルビア兵のなすがままになり、民間人たちを保護できずに8372名が殺された。

かつて町ではボシュニャク人(ムスリム)、クロアチア人、セルビア人が共存していた。

戦後、遺体を確認するシーンがある。殺風景な部屋にボロボロの服と骨になった遺体が並べられている。遺族の泣き声が聞こえる。

 

無力であることがアイダを苦しめた。アイダは悪夢を見ているようだった。しかしそれは夢ではなく現実だった。

 

3年半以上にわたって戦闘が繰り広げられたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。略奪、拷問があり、死者20万人、難民、避難民200万人、ボシュニャク人女性に対するレイプ、強制出産が行われた。

アヴリルの恋 2006年

新しい生命の息吹

フランス、ジェラール・ユスターシュ=マチュー監督

1980年代後半、人里離れた修道院で暮らす20歳の修練女アヴリルは、修道女になるために2週間の断食と沈黙の誓いに入り、礼拝堂に閉じこもる。

 

その時、捨て子だったアヴリルはベルデナット修道女から自分には双子の兄がいることを知らされる。兄は孤児院に預けられ、その後、養子になったという。

「外の世界を見てきなさい」とベルデナット修道女は言う。

アヴリルは礼拝堂を抜け出し、2週間の間に、兄に会いに行こうとする。途中で車に乗った青年ピエールに助けられ一緒に孤児院を訪ねる。養子先に電話をすると兄デヴィッドは恋人と南フランスの灯台近くの小屋でバカンス中だという。

兄はゲイで恋人は男だった。

孤独と静寂を愛していたアヴリルは、今まで知らなかった世界で男3人たちと太陽の下で暮らし始める。やがて2週間が経ち、彼女は修道院の礼拝堂に戻る。

その壁にボディペインティングで絵を描く。それは新しい生命の息吹だったが、修道院長の怒りをかってしまう。

 

夜、病床でアヴリルは生死の境をさまよっていた。その時、突然、風車が回り出す。それは神がアヴリルに与えた生命の息吹だった。

 

感動作になる物語をそうすることなく、ドラマ性を排し、淡々と描いていた。そして絵画的な映像がこの作品に生命を吹き込んだ。