自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

稲垣えみ子「寂しい生活」

 

51歳独身女性の節電生活

女性の書くエッセイはどうしていつも面白いのだろう。

事の発端は原発事故後の節電だった。最初は掃除機から始まった。ほうきと雑巾で間に合った。やがて冷蔵庫をなくすという革命が起こった。

 

ついには電気というものをほとんどやめてしまい、水道もほんのわずかしか使わない生活になった。ついでに仕事(朝日新聞社論説委員編集委員)もやめた。

何かを手に入れることは、何かを失うこと。「あれば便利」はいつの間にか「あって当たり前」になる。生きていくために必要なモノはほんのちょっとしかない。家電は女性を解放したのかと問い、生きるって面倒くさいとも思う。

 

順調な節電生活だったが、神戸から東京に引っ越した。ところが知らずにオール電化マンションに入居してしまった。風呂もコンロも電気だった。ここからまた闘いが始まる。

しかし幸運にも理想の借家を手に入れた。かつてのオリンピックが終わった直後のレトロ物件で、冷蔵庫置き場も洗濯機置き場もない。押し入れもクローゼットも靴箱もコンロもない。とうとう電灯、ラジオ、パソコン、携帯だけの生活になり、電気代はひと月150円ほど。

 

小さな、寂しい生活だが、もしかするとこれが最高の生活なんじゃないかと彼女は思ったりする。「なくたって生きていける」という衝撃。

 

思わず笑みがこぼれるエッセイで人生が軽くなった。

クライ・マッチョ 2021年

野生馬が駆けるシーンの爽快さ

アメリカ、クリント・イーストウッド監督

テキサス、1979年、かつてのロデオスター、マイクは落馬事故以来、酒浸りになり落ちぶれていた。

ある日、元の雇い主からメキシコにいる13歳の息子ラファを母親から奪い返してくるように依頼される。「借り」のあったマイクは断ることができなかった。

彼はメキシコシティで誘拐するようにラファとマッチョと呼ばれる雄鶏を連れて、アメリカ国境に向かう。その途中、小さな町で酒場の女主人マルタとその孫娘たちと出会い、しばらく一緒に暮らす。マルタと踊るマイクは幸せだった。

 

ラファは野生馬の調教で初めてお金を稼ぐ喜びを知る。しかし追手が町にやってきた。

アクションシーンも大きな波乱もなく、ただただ静かにストーリーは展開してゆく。結末もシンプルで淡泊なものだった。何かを強く主張し、深い感動を与えようとする作品ではなかった。

イーストウッド監督は気負いもなく、ただ撮りたいように撮ったような気がする。

 

しかし野生馬のような「荒々しさ」を内に秘めた作品だった。若い頃のイーストウッドならもっといい映画になっただろう。

コーカサスの虜 1996年

人生は短く、世界は狭い

カザフスタン、セルゲイ・ポドロフ監督

原作はトルストイの短編「コーカサスの虜

チェチェン紛争下、コーカサスの山岳地帯、ロシア兵のワーニャと准尉のサーシャはチェチェン側の待ち伏せにあい捕虜になる。村の長老アブドゥルはロシア軍の捕虜になっている息子と交換するために、二人を買った。

 

アブドゥルは二人に母親あての手紙を書かせる。ロシア軍の少佐に捕虜交換を承知させるためだった。いつしか捕虜の二人はアブドゥルの娘ジーナとロシア兵に舌を切られた見張り役の男ハッサンと打ち解けてゆく。

厳しい山岳地帯で伝統と因習のなかで生きるチェチェンの人たち。彼らの日常の中には生まれた時から戦争があった。素朴なチェチェン民族音楽愛国心を掻き立てる勇壮なロシア音楽。そして村の女たちのチェチェンダンス。

 

チェチェンの歌が聴こえる「♪生まれた時から この地で生きてきた 吹きすさぶ風に よそ者はおびえ去っていく‥♪」

チェチェン人の父親がロシアに寝返った息子を撃ち殺す。ヘリコプター部隊が報復に村を襲う。

イスラム系のチェチェンは19世紀以来、ロシアの支配に抵抗している。そして長い紛争は今もなお続いている。

カンヌ映画祭国際批評家協会賞、観客賞、ソチ映画祭、カルロヴィバリ映画祭グランプリ。