深い海の底に
沢木はラスヴェガスでおこなわれるヘヴィー級、ラリー・ホームズとモハメッド・アリのタイトルマッチのチケットを手に入れてもらえないかと友人に電話するが、すでに完売だった。
ところがその友人の知人がチケットを快く譲ってくれた。その知人とは沢木にとっては全く面識のない高倉健だった。
沢木は高倉健のためだけに試合の観戦記を書いて高倉の事務所に送った。
いつかお礼をしたと思っていたがその機会がなく3年が過ぎた。沢木はラジオの対談番組を担当することになり、第一回目のゲストに高倉健の名前を出すと、ディレクターは「とても無理だろう」という。でもお願いだけはしてくれと頼むと、ディレクターは恐る恐る連絡してくれた。
しばらくするとディレクターから驚いたような電話がかかってきた。
オーケーが出ただけではなく、もし話をするなら北海道の牧場に泊りがけで行かないかと言ってくれたという。
北海道に向かったのは7人の男たちだった。夜はみんなで暖炉を囲んで高倉が淹れたコーヒーを飲みながら話をした。
どうしてこのような番組に出てくれたとのかと聞くと「事務所にも言っていたんですね、沢木さんだったら、どんなことでもするから・・僕は全然お目にかかっていないのに、手紙を読んだときにこの人にお目にかかりたい・・とか思うようになる方がいるんですね」
暖炉の火を眺めながら夜遅くまで話をした。主に話をしたのは高倉と沢木だったが、そこにいた全員が一緒に話をしている気分だったと後で聞かされた。
出演料を決めていなかったディレクターが恐る恐る電話すると「一銭もいただかなくていいです」と事務所から連絡があった。
高倉健が出てくれたおかげで吉永小百合、中島みゆき、井上陽水、阿佐田哲也・・そして最終回には美空ひばりが「健ちゃんが出た番組ならいいわ」といって出てくれた。
私たちの年代の男にとって高倉健は特別な存在だった。