自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

ハルノ宵子「猫だましい」

表紙の猫が自画像のように見える

ブロ友さんの紹介で読んでみたが、「トンデモ本」だった(もちろんいい意味で)

漫画家、エッセイストのハルノ宵子の父は思想家、詩人の吉本隆明、妹は作家の吉本ばなな

2017年、内科医はステージⅣの大腸がんだとつぶやいた。「ああ~!またやっちまった~!」一年ちょっと前には自転車の酔っぱらい運転でコケて大腿骨を骨折し、人工股関節置換手術、5年前には乳がんで片乳を全摘出している。でもビールはやめられない。

おしっこの出てくるところから大便が漏れ出してくる(もっと露骨な表現だったが)

 

ハルノの母は喘息持ちのヘビースモーカー、父は高機能自閉症、猫のシロミは「馬尾神経症候群」「リンパ性胆管肝炎」

 

「シロミに出会わなければ、私は物書きを続けていないし、もっと馬鹿で粗暴で、介護中の両親の頭をカチ割っていたかもしれない。私はすべてをシロミから教わった」

「動物の医療は治療食がキライならムリに食べさせなくていいし、多少身体に悪い物でも、それで元気が出るなら与えてもかまわない。病院に連れていくストレスの方が、治療効果を上回ると思われるなら、最低限の薬をもらってきたり、最初から治療しないという選択もできる」

 

人間の場合、医者は「もうこの辺で治療をやめちゃって、モルヒネ一発キメたほうが楽しく長生きできる」とは口が裂けても言えない。患者とその家族は一分でも長生きできるならと過剰な治療を求めてくる。

 

「より自分らしい死を選び取っていく過程こそが医療じゃないのか。猫・両親・自分と様々な医者と医療、生と死に付き合ってきた中で考えてきたことだ」

悪い種子 1956年

50年代のB級恐怖映画のおもしろさ

アメリカ、マービン・ルロイ監督

ケネス・ベンマーク大佐と妻クリスティーンには8歳の娘ローダがいた。ローダは金髪の可愛らしくて利口な少女だった。学校のピクニックがあった日、クロード少年が桟橋から落ちて死んだ。

クロードの顔に傷があり、彼の金メダルがなくなっていた。ローダは金メダルを欲しがっていた。直前に、ローダと会っていたという警備員の証言もあった。ローダはクロード少年が亡くなっても、平気で楽しそうにピアノを弾いていた。

母親クリスティーンは以前住んでいたアパートで老婆が階段から落ちて死んだことを思い出す。その死にローダが関係していたのではないかという疑惑をもつ。

父親に会ったクリスティーンは自分が養子であり、実の母親は殺人鬼だったことを知る。悪い種子は遺伝するのか。

やがてローダの犯行を知った雑用係の男が焼き殺される。

残虐なシーンがあるわけではなく、ただひたひたと迫ってくる静かな恐怖があるだけだった。罪の意識もなく天真爛漫な少女の邪悪さが伝わってくる。

 

もともとは舞台劇で映画も舞台劇のようにほとんどが家の中のシーンだったが、結末は大きく違っていた。それは「神の怒り」だった。

洲崎パラダイス赤信号 1956年

かけ、もり、が25円の時代

日本、川島雄三監督

昭和30年頃、勝鬨橋、甲斐性なしの義治と着物姿の蔦枝は持ち金もなくなり、どこに行こうかと迷っていた。

「これからどうするの」「どうしようか、どこに行こうか」二人はバスに乗って、洲崎で降りた。そこには遊郭、洲崎パラダイスがあった。蔦枝はかつてここの娼婦だった。

洲崎橋を渡るとそこは遊郭だった。橋を境にして赤線と堅気の世界とに分かれていた。二人は橋の手前の小さな飲み屋「千草」の女将お徳に働き口を頼む。蔦枝は「千草」で働き、義治は蕎麦屋「だまされや」の出前持ちになる。

客あしらいのうまい蔦枝はラジオ屋の落合に近づき、一緒に寿司を食べ、洲崎天神内の小屋で芝居を楽しむ。義治は嫉妬に狂い、町の中をさまよう。

 

一方、お徳は遊郭の女と駆け落ちをした亭主が帰ってくるのをひたすら待っていた。

貸しボート屋、裏通りの飲み屋街、下町の商店、仕舞屋、電気街、昭和30年代の町の佇まいが見事に映し出されていた。

 

浮草のような暮らしを続ける男と女の腐れ縁を描いた風俗映画だったが、どこか文芸作品の香りがする大人の物語だった。時代を駆け抜けた男と女の息遣いが聴こえてくるいい映画だった。