自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

ザ・バニシングー消失―1988年

想像力がもたらす恐怖

オランダ、フランス、ジョルジュ・シュルイツァー監督

仲のいい夫婦レックスとサスキアは車でオランダからフランスへ旅行していた。ドライブインで妻のサスキアが失踪する。3年経ったが行方不明のままだった。レックスはビラを貼り、テレビにも出演して情報を集めていた。

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やがて犯人から何通もの手紙が届く。犯人は理想的な家族をもつ中年男で大学教師のレイモンだった。

ある日、レックスの前に犯人のレイモンが現れ、真相が知りたければ私と一緒に車に乗れと要求する。レックスは犯人を捕まえるよりもサスキアがどうなったのか、その真相を知りたくて、要求を拒むことができなかった。

私たちはレックスが破滅してゆく姿をただじっと見つめているだけだった。つい映画の中のレックスに声をかけてしまう。「ついて行ってはダメだ」

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暗いトンネルの中、車がガス欠になり立ち往生してしまい、サスキアは異常なほど慌てて、トンネルの外に出てゆく、この冒頭のシーンから得体の知れない恐怖が漂っている。

レックスの閉所恐怖症、レイモンの妻の叫び声、ギブスをはめた腕、金の卵・・など至るところに伏線が張り巡らされている。

 

スタンリー・キューブリック監督が「これまで観たすべての映画の中で最も恐ろしい映画」と評した。しかも3度も観たという。私ならとうてい3度は無理だろう。

残虐なシーンは一切ないのにこの怖さはどこから来るのだろう。二人がどのような恐怖を味わったのかを想像するだけでトラウマになりそうだった。つまりこれは想像力がもたらす恐怖の映画ではないだろうか。

レディ・バード 2017年

母VS娘

アメリカ グレタ・ガーウィグ監督

2002年、カリフォルニア州サクラメント、17歳の女子高生クリスティンは中途半端な町を出て、ニューヨークの大学に行きたかった。何かを達成したい、この町では幸せになれないと思っていた。

自分のことをクリスティンではなく「レディ・バード」と呼ぶように周囲に宣言していた。ちょっと生意気で反抗的で見栄っ張りな普通の女子高生だった。

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学校生活、友情、家族、進学、恋、初体験・・やがて彼女は補欠合格で大学に入学することになり、ニューヨークに旅立つ。

 

憧れのニューヨークだったが友達もいなくて、「♪・・独りぼっちの夜に気づく・・♪」。あれほど嫌いだった教会に出かけていく。そして故郷サクラメントの川や橋、公園、見慣れた街角や道、お店、あらゆるものを懐かしく思い出す。

母の書いたクリスティン宛の手紙がゴミ箱に捨てられていた。その手紙を父が送ってきた。

「妊娠をあきらめていたのに、あなたを奇跡的に授かって・・・」それを読んだクリスティンは母の気持ちと自分の身勝手さに気づく。

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留守電に「私はクリスティン、愛している、ありがとう、感謝している」と伝言を残す。彼女はもう「レディ・バード」ではなかった。

 

おそらくこれがアメリカの普通の女子高生の姿なのだろう。17歳の女子高生が羽ばたいてゆく姿を淡々とユーモアを交えながら描いていた。

大きな感動があるわけではないが、鑑賞後はなぜか心に沁みてくる。なぜならこれは男も女も誰もが経験する「通過儀礼」だったからだ。

芳華―Youth― 2017年

青春、それは芳しい華

中国、フォン・シャオガン監督

1976年、17歳のシャオピンは模範兵のリウ・フォンに連れられて、軍の文芸工作団にダンサーとして入団する。父は思想改造のため10年前から改造所に入れられ、母は再婚し、シャオピンは苛められていた。

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団員たちがこっそりテレサ・テンのカセットテープを聴いて「こんな歌い方もあったのね」と驚く。新しい時代の到来を予感させるシーンだった。

シャオピンはリウ・フォンを好きだったが、彼は別のダンサーを愛していた。後に、そのダンサーは華僑の男と結婚してオーストラリアに行った。

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毛沢東周恩来が亡くなり、四人組の失脚、文化大革命の終焉、中越戦争と中国は大きく変わってゆく。

1979年、中越戦争でリウ・フォンは片腕を失ってしまう。シャオピンは野戦病院の看護婦として戦争の悲惨さを体験して精神の病になる。二人は別々の人生を歩んでゆく。

 

1995年、戦死者の墓地で二人は再会する。小さな駅のベンチでシャオピンは「何十年も言えなかったがあなたに言いたいことがあったの・・私を抱きしめて」とリウ・フォンに告白する。

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2005年、リウ・フォンは大病を患ったが、シャオピンの献身的な看病で一命をとりとめた。二人は結婚せず、子どももいないが寄り添って生き、お互いに一生の家族として暮らした。

 2016年、元ダンサーのシャオは「文工団員たちと会ったがもう昔のような仲間ではなかった。でもシャオピンとリウ・ファンにはゆとりが感じられ、寡黙だが優しく穏やかだった」と回想する。

 

時代に翻弄されながら文工団員たちの青春は終わった。青春、それは二度と戻らない芳しい華だった。