自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

芳華―Youth― 2017年

青春、それは芳しい華

中国、フォン・シャオガン監督

1976年、17歳のシャオピンは模範兵のリウ・フォンに連れられて、軍の文芸工作団にダンサーとして入団する。父は思想改造のため10年前から改造所に入れられ、母は再婚し、シャオピンは苛められていた。

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団員たちがこっそりテレサ・テンのカセットテープを聴いて「こんな歌い方もあったのね」と驚く。新しい時代の到来を予感させるシーンだった。

シャオピンはリウ・フォンを好きだったが、彼は別のダンサーを愛していた。後に、そのダンサーは華僑の男と結婚してオーストラリアに行った。

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毛沢東周恩来が亡くなり、四人組の失脚、文化大革命の終焉、中越戦争と中国は大きく変わってゆく。

1979年、中越戦争でリウ・フォンは片腕を失ってしまう。シャオピンは野戦病院の看護婦として戦争の悲惨さを体験して精神の病になる。二人は別々の人生を歩んでゆく。

 

1995年、戦死者の墓地で二人は再会する。小さな駅のベンチでシャオピンは「何十年も言えなかったがあなたに言いたいことがあったの・・私を抱きしめて」とリウ・フォンに告白する。

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2005年、リウ・フォンは大病を患ったが、シャオピンの献身的な看病で一命をとりとめた。二人は結婚せず、子どももいないが寄り添って生き、お互いに一生の家族として暮らした。

 2016年、元ダンサーのシャオは「文工団員たちと会ったがもう昔のような仲間ではなかった。でもシャオピンとリウ・ファンにはゆとりが感じられ、寡黙だが優しく穏やかだった」と回想する。

 

時代に翻弄されながら文工団員たちの青春は終わった。青春、それは二度と戻らない芳しい華だった。