自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

イン・ザ・ベッドルーム 2001年

 

予想を上回る出来栄え

アメリカ トッド・フィールド監督

 メイン州、漁業の町カムデン、夫マットは医師、妻ルースは教会の合唱団の指導をしている。18歳の一人息子フランクは建築を学んでいる大学生で夏の間、故郷に帰っていた。彼は年上の女性ナタリーを愛するようになる。

彼女には二人の息子と別居中で暴力的な夫チャールズがいた。よりを戻そうとしていたリチャードはフランクと口論になり、フランクを射殺する。

f:id:hnhisa24:20200510084615j:plain

明らかに殺人なのにリチャードは裁判で故殺と主張する。それが認められ刑期も5年程度だといわれ、保釈までされる。その上、ルースは町で何度もチャールズと出会う。

マットは事なかれ主義の理性的な夫であり、ルースは過保護で感情的な妻だった。二人は怒りのはけ口がなく、お互いに過去を責めあい、凄まじい罵り合いをする。

やがてマットは一つの決断をする。それはリチャードを殺すことだった。

f:id:hnhisa24:20200510084648j:plain

早朝、家に帰って来た夫、ベッドルームで妻が待っていた「殺ったの?」夫は何も言わずにベッドに入る。妻は「大丈夫、マット」・・・夫「奴の家の壁に奴とナタリーの写真があった」「それが何か」「彼女のあの笑顔・・・分からない」

 

一人息子を殺され血脈は途絶えてしまう、苛立ち、虚無感、後悔、内にこもる怒り・・を静かに淡々と描いてゆく。どのシーンにも夫婦の心の傷があらわれており、息苦しくなってくる。

 

この映画の狙いは何なのか、私にはよく分からなかった。でも途中からグングンと惹きつけられてゆく、そして畳みかけるような結末。いわゆる復讐劇、サスペンスとは少し手ざわりの違う作品で、奇妙な後味を残す映画だった。

私の殺した男 1932年

ルビッチの感動ドラマ

アメリカ、エルンスト・ルビッチ監督

2016年フランソワ・オゾン監督「婚約者の友人」としてリメイクされた。

 第一次大戦後の1919年、パリ、フランス青年ポールは教会で神父に赦しを乞う。ポールは戦争中の西部戦線でドイツ兵を殺し、それを後悔していた。ポールはその兵士ウォルターの家族に赦しを乞うためにドイツに向かう。

最初、医師である父親ホルダアリンはフランス人のポールを拒絶するが、そこにウォルターの婚約者であるエルザが戻って来て、彼が墓に花を捧げていたフランス青年だと話す。

f:id:hnhisa24:20200507083033j:plain

両親は息子がパリに住んでいた頃の友人だったと信じ込んでしまう。ポールは「自分が殺した」と告白することが出来なかった。ウォルターの両親とエルザはいつしかポールに親近感をもつようになる。

 

戦争は終わっていたがフランス人とドイツ人はお互いに憎み合っていた。父親のホルダアリンは愛国者だったが、戦争の悲惨さもよく知っていた。相変わらずフランスとの戦争を望む老人仲間たちに「老いて闘えないくせに憎しみだけは増えている。死への旅なのに私は応援までして息子を送った」と自分の行為を悔いる。

ガス燈が灯り、馬車の走るドイツの町、フランスの男とドイツの女が一緒に歩いているだけで噂の的になる。でもエルザは気にしない。ホルダアリンはポールを「我が息子」と抱きしめる。

f:id:hnhisa24:20200507083117j:plain

バイオリンを弾くポールとピアノを演奏するエルザ・・その二人を幸せな表情で見守る老夫婦。しかし再び戦争の足音が聞こえてくる。

 

77分という短くてシンプルな映画なのに強い印象を残した。重い題材だったがどこか軽やかな風が吹いている。

特別な一日 1977年

ソフィア・ローレンとマストロヤンニの二人芝居

イタリア、エットレ・スコーラ監督

1938年、ヒトラー総統がイタリアを訪問した。当時のニュース映像が延々と映し出される。翌日、ムッソリーニファシスト党はローマで歓迎式典を開く。その様子がラジオで放送され、それが映画の背景に流れる。

f:id:hnhisa24:20200504085650j:plain

低所得者向けの集合住宅に住む主婦のアントニエッテには6人の子どもがいた。夫はファシズムの信奉者だった。子どもたちと夫は式典に参加して、家にはアントニエッテだけが残り、後片付けなどの家事をしていた。

九官鳥が逃げ出し向かい側の部屋の階段に止まった。アントニエッテがその部屋を訪ねると、その部屋に住むガブリエレがあらわれる、ラジオのアナウンサーだったガブリエレは同性愛者だった。

「夫でも父でも兵士でもない男は男ではない」それが「正義」だった時代、その日は彼が連行されていく日で、トランクに荷物をつめていた。

f:id:hnhisa24:20200504085718j:plain

アントニエッテは夫から子どもを産む機械、家政婦と軽く見られていた。彼女はろくに学校に行ったこともなくて無教養だという事を恥じていた。だから夫が教養のある女教師と浮気をしている事が許せなかった。

 

「婚約以来、二人で笑ったことはない。夫は外で笑っている」愛情のない生活だった。彼女はガブリエレから贈られた「三銃士」の本を手に取る。でも本を読むのをやめて夫に言われるままベッドに向かい、忍従の日々に戻る。一方、ガブリエレは官憲に連行されて、サルディーニャ島に流刑になる。

 

1938年5月4日はイタリアにとってもアントニエッテとガブリエレにとっても「特別な一日」だった。たった一日の物語だったが、完成度の高い「特別な映画」だ。