自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

ワイルドライフ 2018年

写真館での家族写真

アメリカ、ポール・ダノ監督

1960年、父ジェリー、母ジャネット、14歳の息子ジョーはモンタナ州の田舎町に引っ越してきた。父は今までどの仕事も長続きしなくて、何度も引っ越しを繰り返していた。この田舎町でもゴルフ場の仕事を解雇され、妻ジャネットが止めるのも聞かず山火事を食い止める危険な仕事にでかけてしまう。

ジョーは母に尋ねる「これからどうなるの」「夫が求めているのは近道ばかり」

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残されたジャネットは水泳教室のインストラクターになり、ジョーは写真館でアルバイトをする。しかしジャネットは不安と孤独で水泳教室で知り合った男にひかれてゆく。母の服装や化粧が変化し、徐々に女になってゆく。

それを不安げにみる14歳のジョー。彼は女としての母親をみることに耐えられなかった。ただただ父親の帰りを待っていた。

 

どこにでもありそうな夫婦の離婚話だったが、「家族が壊れてゆく・・」という14歳の少年の焦燥感と繊細な感情の揺れがひしひしと伝わってくる。そんなワイルドライフの中で少年は成長してゆく。

感動作というものではないが、なんだかスッと胸にしみ込んでくる優しい映画だった。

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誕生、成人、結婚、出産といった人生の節目には写真館で家族写真を撮るという時代がかつてあった。映画「悲情城市」や「八日目の蝉」には別れの日、家族だったことを忘れないために写真館で写真を撮るシーンがある。

ワイルドライフ」のラストシーンも写真館だ。しかしそこで撮られるのは別れの写真ではない。家族が再生してゆく写真だった。

カポーティ 2005年

「冷血」の誕生

アメリカ ベネット・ミラー監督

1959年11月カンザス州ホルマカムで一家4人が惨殺される事件がおきた。新聞記事を読んだ作家のトルーマン・カポーティは興味を持ち、女性作家のネル・ハーバー・リーと共に現地に飛び警察で事件の取材をする。

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やがて犯人として二人の男が逮捕される。カポーティはそのうちの一人ペリーの取材を進めてゆくうちに、この事件を雑誌の記事ではなく本にしようと考える。ノンフィクション小説として新しい分野を切り開き、文学の流れを変える傑作になると確信したのだ。タイトルは「冷血」だった。

 

ペリーの姉に取材すると「彼は握手するように簡単に人を殺す」から気を付けてと言われる。やがてペリーとカポーティの間に友情に似たものが生まれ、ペリーから日記を渡され読み始める。そしてペリーが自分と同じような境遇で育ったことを知る。

カポーティはネルに「ペリーと私は同じ家で育った。でも世の中への出方が違った。彼の場合、裏口から私は表玄関からだった」と話す。

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カポーティは裁判を長引かせ、犯人たちへの取材を続けるために弁護士を雇う。ところが何度も再審を繰り返し、小説の結末を書ことができなくなりカポーティは精神不安に陥る。1965年4月14日、犯人二人は絞首刑になりやっと結末を書くことができた。

カポーティはネルに彼らを助けられなくて残念だったと話すが、ネルは「救いたくなかったのでしょう」と平然と言い放つ。彼女はカポーティの本心を見抜いていたのだ。

 

「冷血」は大きな反響を呼び、傑作と言われた。しかしその後、カポーティは長編小説を完成させることが出来ず、アルコール中毒で1984年、59歳で亡くなった。

 

裏口から出たペリーは絞首刑にあい、表玄関からでたカポーティアルコール中毒で死んだ。残ったのは「冷血」だった。

プライベート・ウォー 2019年

黒い眼帯の女

イギリス、アメリカ、マシュー・ハイネマン監督

「生きる伝説」といわれた実在の女性記者マリー・コルヴィンの半生を描いた作品。

マリーは2001年、スリランカ内戦で左目を失明し、PTSDに苦しみ、悪夢に悩まされる。それでも戦場の悲惨さを訴え続けて、紛争地を取材する。周囲の反対を押し切って果敢に戦場に乗り込んでゆくマリー。彼女は酒とタバコを断つことができない。

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マリーの戦場からの報告を英国の公共放送全局がライブ中継をした。それは大きな反響をよんだ。その直後、2012年2月22日、マリーはシリアのホムスで爆撃のため死亡。

 

報道で現実を変えることができるのか、本当は何が起こっているのかを伝えなければ報道は失敗だ、どちらの勢力も曖昧にしているものを明らかにする、特ダネを追う人生だったが、普通の生活がいいとしてもそんな暮らし方をマリーは知らない。彼女は戦場と共に生きてきた。

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「私が見る、だからあなたは見なくてもよい場所にいるのよ」マリーは私たちの眼となって残虐な死を見つめ、真実を訴え続けた。でも私たちはそれを見ただろうか。

視聴者にとって遠い出来事でもここでは目の前の出来事なのだ。犠牲になるのはいつも民間人で特に女と子供だった。

虐殺され荒れ地に埋められた民間人たちを掘り起こす、水と砂糖だけで生きる子供たち、幸せになっただろう少女は無残な死体に変わり果てた。マリーには世界が崩壊してゆくように思えた。

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「♪私は何も怖れない 何ひとつ怖れない 何も私を止められない・・♪」