自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

ブラ!ブラ!ブラ! 2018年

アゼルバイジャンバスター・キートン

ドイツ、アゼルバイジャン ファイト・ヘルマー監督

鉄道運転手のヌルランは一人暮らしの孤独な男だった。毎日、決まったように貨物列車を運転していた。密集した住宅の中を走る線路には洗濯物が干されており、男たちがテーブルを出してゲームをし、子供たちが遊びまわっていた。列車が通過するたびに犬小屋から少年が飛び出し、危険を知らせる。

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定年を迎えたヌルランは最後の運転で物干しロープから外れた青いブラジャーを列車がひっかけていたことに気づく。

一度は捨てた青いブラジャーを持ち主に返そうと、ヌルランは家々を訪ね歩く。

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やがてヌルランは青いブラジャーの持ち主を探し当てる。でもそこにラブロマンスがあるわけでも、彼が恋に落ちるわけでもない。その代わり彼はもうひとりぼっちではなくなる。なぜなら「家族」ができたからだ。

それは青いブラジャーが運んできた幸せだった。

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列車が住宅地を走るシーンは上海で、他のシーンはアゼルバイジャンで撮影されたのだろう。だから線路沿いの住宅地もあれば広々とした草原もあり、町の女たちはとても個性的で陽気だった。

どこの国でもない不思議な土地のファンタジーだった。

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映画は効果音だけで一切、セリフがなかった。それでもストーリーはよくわかる。娯楽作でも芸術作でも感動作でも社会派作品でもないがどこか気になる作品だった。たまにそんな映画に出会うことがある。

それは人との出会いによく似ている。つまり小説「忘れえぬ人々」の映画版というわけだ。

内田樹「ひとりでは生きられないのも芸のうち」

「ひとりで生きられない」のは重要な能力

内田さんの夢見る組織は小津安二郎の映画で佐田啓二高橋貞二司葉子岡田茉莉子が勤めているような会社である。

終身雇用・年功序列で社員旅行でロマンスが生まれ、上司(佐分利信)の奥さん(田中絹代)が「うちにくる若い人の中では後藤さんがいちばんいいわね」とマッチングしてくれて、結婚祝いには同期みんなでハイキングに行くような会社。

それを日本のスタンダードにせよとは言わない、ただ好きというだけだと書いている。

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佐分利信、北竜二、中村伸郎の「わるいおじさん」三人組は若い女の子とみると「おい、ノリちゃん、いくつになったんだ。もうお嫁に行かなくちゃいかんよ。お母さんも心配だ」というようなセクハラ的なお節介のかぎりを尽くしていた。まことによけいなお世話である。

しかし世の中にそれほど「出会いの機会」があるわけではない。

 

ちなみに「佐分利信」を「さわけ・としのぶ」、「小津安二郎」を「こつ・あんじろう」と読む人も出てくるだろうとも書いている。

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ほとんどの人は逆に考えているかもしれないが、「その人がいなければ生きてゆけない人間」の多さが「成熟」の指標なのだ。「あなたがいなければ生きてゆけない」という言葉は「私」の無能や欠乏についての言明ではない。これは私たちが発することのできるもっとも純度の高い愛の言葉である。

 

自分の懐で安らいでいる赤ちゃんのまなざしのうちに「あなたがいなければ私は生きてゆけない」というメッセージを読む母親は「私もまたあなたなしでは生きてゆくことができない」と応じると書いている。

 

「ひとりでは生きられない」は人間にとっていちばん自然で幸せなことかもしれない。それを描いた小津の映画に惹きつけられる。

ラスト・ディール 2018年

「男の肖像」この男は誰なのか

フィンランド クラウス・ハロ監督

ヘルシンキ、老美術商のオラヴィはギャラリーの経営がうまくいかず、店じまいをしようとしていたが、もう一度だけ名画にかかわりあいたいと思っていた。

一人娘から補導歴のある孫息子のオットーを職業体験のためにしばらく預かってほしいと頼まれる。一度は断るがやむなく店員として預かり名画のすばらしさを教える。

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オラヴィは内覧会で見つけた一枚の絵画に引き付けられる。それは作者不明の「男の肖像」だった。オラヴィは「人生を全うした者にしか描けない絵だ」と言うが、サインがないので誰の作品かわからなかった。

孫息子のオットーとともにその絵の流出先と作者を探し始める。やがてそれはロシア美術の巨匠イリヤ・レーピンの「キリスト」だということが分かる。誰もそのことに気づいていなかった。しかしなぜサインがないのかはわからなかった。

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オークションでオラヴィは一万ユーロで競り落とすがお金がなかった。銀行に断られ、娘に金の無心をすると「何度泣かせるの」と言われ拒否される。オラヴィは今まで、苦しんでいた娘を支えることなく、ガラクタの絵画に夢中になっていたのだ。

 

最後の大勝負に敗れ、何もかも失ったオラヴィはレーピンの「キリスト」になぜサインがなかったのか、その意外な理由を知る。

 

老美術商と一人娘、孫息子との絆をミステリータッチで描いたヒューマンドラマで、私好みの一本だった。

 

クラウス・ハロ監督には恩赦をうけた女性服役囚と盲目の牧師の物語「ヤコブへの手紙」、エストニアを舞台にフェンシングの元選手と子供たちの絆を描いた「こころに剣士を」という感動的な作品がある。