自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

淀川長治と沢木耕太郎

沢木耕太郎セッションズ」より

1991年に「ダカポート」に掲載された沢木耕太郎淀川長治の対談

 映画評論家の批評はほとんど読まないが、沢木耕太郎の映画評だけはよく読んでいた。文章が端正で、どこか感性が私に似ているような気がしたからだ。

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「あなた残酷だ。自分がハイクラスだから、私をバカにしてる。そういうことを言って僕を喜ばせようって(笑い)」「一方的に淀川さんの話をお聞きするだけでいいのならということで来たんです」「それはビッグ・ライ、大きな嘘というもの。心の中ではこのジジイをいじめてやろうと来てるんです」

「僕はすごく気持ちのやさしい人間なのに」「そんなにやさしくない(笑い)」

「淀川さんの人生から映画を全部とっちゃうと何が残ります?」「僕から映画をとったら?やっぱり残酷な男だ、お前は(笑い)」

 

当時の皇太子殿下(浩宮さま)が淀川さんに会いたいというので東宮御所に呼ばれた。

皇太子殿下に「あなたどんな映画が好きなの?」とお聞きしたら「ルキノ・ヴィスコンティが好きです」とおっしゃったの・・・「ベニスに死す」はと聞いたら「一番好きです」・・

で、パパは、今の天皇陛下ね、何が一番好きですか、と聞いたの・・「ローマの休日」が大好きです、とおっしゃった。・・ママ(美智子さま)は「哀愁」です、と言われました。

皇太子殿下(今の天皇陛下)の好きな映画が「ベニスに死す」とは意外だった。

 

淀川長治沢木耕太郎人間性が充分に伝わってくる粋でユーモアがあって、丁々発止とした対談だった。

沈黙は金 1946年

パリの恋とユーモアと粋

フランス ルネ・クレール監督

20世紀初頭のパリ、当時、活動写真とよばれた映画の黎明期。監督のエミールはかつて俳優であり、独身の今も女に不自由していなかった。彼を慕っている青年ジャックは俳優であり、助手、大道具係でもあった。

ある夜、エミールの友人で寄席芸人セレスタンの娘マドレーヌがパリにやってくる。ところがセレスタンは巡業に出かけて留守だった。

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仕方なくエミールはマドレーヌの面倒をみることになる。マドレーヌの母は亡くなっていたが、かつてエミールがただ一人愛した女性だった。いつしかマドレーヌにかつて愛した女性の面影を見て、年は離れているが結婚を夢見るようになる。

ところが若いジャックとマドレーヌが恋に落ちる。二人はエミールを悲しませたくなくて別れようとする。

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 オープニングの石畳の道、映画小屋のシーンからエミールが女性を口説くラストシーンまですべてがパリの「恋とユーモアと粋」でいっぱいだった。

 

夜の街角、大道芸人の演奏、下町の人たちの歌声、カフェの流しのギター、演芸場のカンカン、恋をささやくダンスホール、夜の街を走る馬車、路面電車、活動写真のスタジオなど・・・クラシックな映画の魅力は映し出されるものすべてにあるような気がする。

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 エミールの隣で映画を観ていた若い女性がこう呟く「ハッピーエンドが好きだわ」そしてお約束通り、映画はハッピーエンドを迎える。あきれるほど屈託のない映画だった。

私の知らないわたしの素顔 2019年

現実の耐えられない軽さ

フランス サフィ・ネブー監督

50代の美しい女性、大学教授のクレールは離婚歴があり二人の息子がいた。彼女は精神分析医の治療を受けていた。クレールは過去の出来事を分析医に語り始める。

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年下の恋人リュドに捨てられたクレールはSNSの世界に足を踏み入れ、姪の24歳のクララに成りすます。そしてクレールはリュドの友人のアレックスとSNSの世界で知り合い、二人は恋に落ちる。

クレールは「彼と出会うことで自分は生きている」と感じ、それは現実では得られない歓びだった。いつしか自分を24歳のクララだと思い込む。

アレックスはクラに会いたいと思うが、真相がばれることを恐れてクレール(クララ)はアカウントを削除し、消息を絶つ。

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リュドからアレックスが絶望のあまり自殺したと聞かされたクレールは、狂気じみた妄想の物語を作り上げ分析医に話す。しかしその物語の結末はなぜか自分の死だった。

 

そして「怖いのは死ぬことじゃない、一番怖いのは見捨てられること」「目覚めたまま夢を見ていた」とクレールは話す。分析医は真実を知るためにリュドを訪ねる。やがて意外な真実が明らかになる。

 

若さを失ってゆく中年女性の喪失感の物語が、いつの間にかゾクッとする人格乖離のサイコスリラーに変わってゆく。

自分の中にもう一人の自分の存在に気づくウディ・アレン監督作品「私の中のもうひとりの私」もなぜか50代の女性で大学教授だった。