自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

その手に触れるまで 2019年

少年の焦燥感がいっぱい

ベルギー、フランス、ダルデンヌ兄弟監督

2018年のベルギー、一か月前まではゲームに夢中だった13歳のアメッドはムスリムの導師に洗脳されて、過激なイスラム教徒になる。

アメッドは何度もうがいをし、手を洗い、穢れを恐れる異常な行動の日々だった。コーランに反するとして女性教師と握手することも拒否していた。

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導師から学校の女性教師イネスは背教者だと言われ、彼女を殺そうとするが、失敗して少年院に送られる。

煽り立てた導師は責任逃れをしようとするだけだった。それでもアメッドは「ぼくは大人だ。大人のムスリムは家族以外の女性に触らないんだ」「アラーは偉大なり」を繰り返すだけだった。

その上、面会に来たイネスを殺そうとするがまたもや未遂に終わる。

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更生プログラムで農場作業をするうちに少女ルイーズからキスをされる。それはアメッドにとっては罪深い行為で地獄へ堕ちると怯える。しかしルイーズは「天国も地獄もないわ」と呆れてしまう。アメッドとルイーズは住む世界が違っていた。

 

移民問題と宗教上のトラブルは喉に刺さった小骨のようにヨーロッパの人々を悩ます。深刻なテーマでありながら、この作品は全編に異様な緊張感がみなぎってまるでサスペンス映画のようだった。

社会派の映画としてではなく、サスペンスとしての面白さのほうが勝っていた。

山崎ハコ 「気分を変えて」

街角スケッチ

ラジオから懐かしい歌が聴こえてきた。山崎ハコの「気分を変えて」だった。

 

「♪・・ゆううつな毎日をどうしよう 

わかってるけどグズグズしていて直らない
このまま閉じこもっているわけにゃいかないが

いくらことばでいってもダメなこともあるのさ

なぐさめてもらいたいよな気もするの グチをこぼしたら笑われるし
そんな弱い私なら そんな弱い私なら バイバイ・・♪」

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ずいぶん古い話になるが、山崎ハコカルメンマキ、浅川マキといった女性シンガーたちはそれぞれが「生きるスタイル」を持っていたような気がする。

 

コロナで「ゆううつな毎日」を送っている人も多いだろう。鬱や体調不良の人が増えているという。何かが良くなるということはないかもしれないが、街に出て「気分を変えて」みたらどうどうだろう。

 

公園近くを歩いていると、よく見かける親子に出会った。80歳代後半の母親と60歳はもう過ぎているだろう息子だ。母親はシルバーカー(乳母車)に引きずられるように歩いている。息子は母親をいたわるように何か一言二言、声をかけている。

 

コロナとは関わりなく二人は自由に「今を生きている」ように見える。すれ違ったとき、私はその母親に軽く会釈した。そうすると彼女も会釈をかえしてきた。

ノーカントリー 2007年

血と暴力の国

アメリカ、コーエン兄弟監督

1980年、メキシコとの国境近くの西テキサス、麻薬がらみの殺人現場から200万ドルを奪ったベトナム帰還兵ルウェリン、その200万ドルを取り戻そうとする不気味な殺し屋アントン・シガー、さらに彼らを追う老保安官エド

 

ルウィリンとシガーの凄まじい抗争と殺伐とした風景が私たちを正気でない世界に誘い込んでゆく。

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異様な凶器エアガンをつかう殺し屋シガーの行動はまるで爬虫類のような凶暴さをもち、彼の殺しには意味も原因もなかった。

シガーはルウェリンを殺した後、その妻を殺しに行く、「私を殺しても何の意味もないわ」と妻が言う。「そうかもしれないが、約束したんだ」シガーの行動規範は異常なものだった。

シガーと雑貨店主との会話はもはや会話ではなかった。会話ではない会話を聞いていると鳥肌がたつような恐怖が襲ってくる。そこには人間のコミュニケーションというものが存在しなかった。

 

保安官エドはもう時代についていけなかった。古き良き時代は去ってしまい、もう戻ってはこない。「最近の犯罪は理解できない。理解できないものに直面したくない。新しい犯罪を誰も止められない」

彼は保安官を続けられないと思った。

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時代はアメリカに狂気をもたらした。もはや老人たちが懐かしむ国はどこにもない(No Country for Old Men)

だがこれはアメリカだけではない。否応なく時代は変わりゆくものだ。

トラウマになりそうな見事な映画だった。