自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」

ライトノベルの衝撃

鳥取県境港市の中学校、13歳の山田なぎさのクラスに美少女の転校生がやってきた。海野藻屑(もくず)で自分のことを「ぼく」と言い、海からやってきた人魚だという。

 

父親はかつての有名な歌手、海野雅愛だった。デビュー曲「人魚の骨」は一番と二番はファンタジックなのだが、三番はなんと人魚を刺身にして食べてしまうという歌詞だった。そこに雅愛の「異常な愛」があった。 

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藻屑は父親から虐待を受け身体障害者になっていたが、ストックホルム症候群なのか、父親のことが好きだった。藻屑は「好きって絶望だよね」と自分の過ちに気づいていたがどうしようもなかった。

 

一方、なぎさの家は母子家庭で生活保護と母のパート収入だけという苦しい生活で、その上、兄が3年前から引きこもりだった。

なぎさは中学校を卒業したら、自衛官になって兄を養うつもりだった。なぎさと藻屑に奇妙な友情が芽生える。

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ふたりは必死になって自分の境遇と戦っていた。しかしなぎさも藻屑も大人のように敵を撃ち抜く「実弾」を持っていなかった。

砂糖菓子の弾丸では敵を倒せない。子どもたちは誰が敵なのかもよく分からないまま、世界を相手に砂糖菓子の弾丸を撃ち続けている。

 

やがて山の中腹で海野藻屑のバラバラ遺体が発見される。発見したのは山田なぎさだった。

 

私たちは「読み終わって、強く、張り裂けそうなほどの悲しみと、同時に浄化を体験」する。桜庭一樹はあとがきで「不思議な本です」と書いている・・私もそうだと思った。

私のちいさなお葬式 2017年

原題は「解凍された鯉」

ロシア ウラジミール・コット監督

ロシアの小さな村、元教師で73歳のエレーナは医者から心不全でいつ亡くなってもおかしくないと言われる。息子のオレクは都会暮らしで5年に一度しか帰ってこない。

エレーナは自分の葬式の準備をする。死亡証明書、埋葬許可書、葬式の料理、墓の用意と準備万端で、死化粧までしたがなかなか死ねない。

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一方、息子のオレクは母親が死んだと思い、あわてて故郷に帰ってくる。

 

エレーナは教え子から湖で釣った大きな鯉をもらった。冷凍庫に入れておいたのだが、料理しようと思って解凍するとなんと鯉が生き返った。

生き返った鯉は偶然にもオレクの車のキーを飲み込んでしまう。オレクが腹を裂こうとするとエレーナは猛反対する。

オレクは夜になって鯉を湖に放ち、幸せだった子供の頃を思い出し、鯉のように湖で泳ぐ。

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オレクはアル中と年寄りだけの村から都会に出ていき、成功したが、彼の心は「冷凍」されてしまった。故郷に帰ってきたオレクは子供の頃の自分を見つけて、やっと「解凍」された。鯉はオレクだった。

コメディタッチの軽い映画だったので、思いもしなかったラストシーンには驚いた。これが映画のいちばん優れたシーンだった。

 

劇中にザ・ピーナッツ恋のバカンス」がロシア語で流れる。意味は分からないが、日本語の歌詞は「♪ため息のでるような あなたの口付けに 甘い恋を夢見る 乙女ごころよ・・♪」

恐竜が教えてくれたこと 2019年

夏休みに子供は成長する

オランダ、ステフェン・ワウテルロウト監督

夏の休暇で両親と兄とオランダ北部の島にやってきた11歳の少年サムは「地球最後の恐竜は自分が最後だと知っていたのかな」と考え込んでいた。サムは両親も兄も先に死んで、末っ子の自分はいつか一人になると思い、痛手を少なくするために一人になる「訓練」をしていた。

ある日、サムは島に住む12歳の少女テスと知り合いになる。テスは母親と二人暮らしで父親は噴火で死んだという。

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「貸別荘で過ごす五日間の休暇」に抽選で当たったという男女の二人組がやってくる。貸別荘はテスの母の持ち物で抽選に当たったというのはテスの計略だった。

実はやってきた男はテスの父親だった。12年前にアルゼンチンでテスの母と知り合い、テスが生まれたのだ。男は娘が生まれたことを知らなかった。テスも娘だと言い出せなかった。

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妻を亡くし小屋にたった一人で住む老人から「できる限りたくさんの思い出を集めろ、人生のほとんどは頭の中にある」とサムは諭される。

美しい海と島での休暇、そしてテスとの秘密の七日間がサムの大切な思い出になった。もう一人になる訓練は必要ではなかった。

 

子供向けの映画というわけではなく、大人の映画でもある。だって「おとなは、だれも、はじめは子供だった」からだ。