自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

1987,ある闘いの真実 2017年

韓国映画の底力

韓国、チャン・ジュナン監督

1987年、ソウル大学生が南栄洞警察の拷問で死んだ。南栄洞のパク所長は北朝鮮国家に家族を殺された脱北者で、その恨みから「アカ狩り」に命をかけていた。

学生の死を隠すためにあわてて火葬しようとするが、チェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが分かる。

新聞報道されると軍事政権下の全斗煥大統領による独裁に批判の声が上がる。真実が続々と明らかになるにしたがって、市民や大学生たちも立ち上がる。しかし弾圧はますます厳しくなる。

ソウルオリンピックの前年のことだった。

1980年の「光州事件」では市民側は軍事政権に抑え込まれたが、7年後の1987年には言論の自由と大統領の直接選挙が認められた。

光州事件を題材にした映画「タクシー運転手」より「1987,ある闘いの真実」はスリリングでインパクトとリアリティのある作品だった。その上、エンターテインメントとしても見ごたえがあった。

 

軍事政権から民主化へという韓国現代史を学ぶことができる映画だった。日本は韓国から学び、韓国は日本から学ぶことが必要なのかもしれない。

平安京とオーロラ

 

以前、三十三間堂から裏道を通って清水寺まで歩いたことがある。途中の山の中腹に突然、巨大な墓地が見えてきた。

その昔、京の都では戦や疫病や飢餓で多くの命が失われた。そんな平安京にもしオーロラが現れたとしたら。

元村有希子「科学のミカタ」にはこのようなことが書かれている。

 

鎌倉時代に活躍した歌人藤原定家の「明月記」には「赤気」と呼ばれる天然現象の様子が記されている。西暦1204年2月のことだ。また中国の歴史書「栄史」の1200年2月の記録には「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれている。

 

1200年ごろの地磁気の軸の傾きは、現在とは逆に日本列島側に傾いており、過去二千年で最もオーロラが出現しやすい状態だった。当時は太陽の活動が活発でオーロラの発生に適していたことも分かった。

当時の人にとってオーロラは不吉なことの前ぶれだった。日食や月食だって当時は怖れられた。

鎌倉時代、オーロラという怪奇現象に人々は驚き、天変地異が起こると恐怖にとらわれただろう。

晴れた五月、三十三間堂から清水寺、「千年の古都」を散策したくなった。

行き止まりの世界に生まれて 2018年

嘘のない真実の物語

アメリカ、ビン・リュー監督

イリノイ州、失業者の町ロックフォードは犯罪の四分の一が家庭内暴力だという。スケボー仲間の貧乏白人ザック、黒人キア、中国系アジア人ビンの12年間を追ったドキュメンタリー。

ビンが撮っていた仲間内のビデオがいつの間にか一本のドキュメンタリー映画になった。

彼らにとってドキュメンタリーを撮ることがどこかセラピーになっていた。それぞれが問題のある家庭で育った3人はスケボーだけが痛みを癒してくれるものだった。

 

ビデオを撮り始めた12年前は少年だった3人はいつしか大人になり、それぞれの道を歩んでゆく。

ザックは恋人ニナと結婚して息子を授かるが、いつしか言い争いが絶えず、別れてしまう。ニナと別れたザックは「自分の敵は自分」と思い、ニナは「誰かの娘、誰かの妻、誰かの恋人、誰かの母、一体、自分自身は何者なのか」と悩む。

 

キアは嫌っていた父親が亡くなってからその愛に気づく。その父親から今度生まれてくるときも黒人を選べと言われる、なぜなら「黒人たちはいつも問題に立ち向かっているから」だ。

 

ビンはビデオのインタビューで母親に訊く「俺が継父から暴力をうけていたことを知っていたのか」と。事実を知った母親は「できることならやり直したい」

 

ハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、「それでも人生はつづく」と思わせる作品だった。