かつて父親には絶対的な存在感があった
1863年、南北戦争下のバージニア州、チャーリー・アンダーソンは広大な農場を経営していた。妻は16年前に亡くなり、息子6人、娘1人を育て上げた。チャーリーは戦争には興味がなく中立を保っていた。
ある日、16歳の末っ子ボーイが北軍に捕虜として連れ去られてしまう。ボーイはたまたま拾った南軍の帽子をかぶっていて南軍兵士に間違われたのだ。チャーリーは長男のジェームズとその妻を残して、家族全員でボーイを取り戻す旅に出る。
西部劇とは生きるために広大な荒れ地に移住してきた開拓者たちの物語。開拓者たちは家を建て、土地を耕し、作物を育て、家畜を飼い、家族を守る、彼らがもっとも大切にしたものは「家族の絆」だった。法の届かない土地で頼ることができるのは家族だけだった。
戦争は自分には関係ない、もし自分の生活が脅かされた場合は戦う、自分の身は自分で守る、とチャールズは考えていた。ここには国には頼らない開拓者たちの独立精神があふれている。
この精神は今もなおアメリカに生きている。それが銃を保有し戦う権利を認めるアメリカ憲法修正第2条「武器保有権」ではないだろうか。
3人の家族を失ったチャールズは墓の前で亡き妻に語りかける。「戦争について私はよく知らない、どんな戦争だって勝つのは葬儀会社だけだ、政治家は戦争の栄光を説き、老人は戦争の必要を説く、兵士たちはただ家に帰ることを望む」
南北戦争を背景に太河のゆったりとした流れのように物語はすすんでゆく。奇をてらう事も、小細工をすることもない茫洋とした映画だったが、それが魅力という不思議な西部劇。