ハンナ・アーレント
2013年、ドイツ、ルクセンブルク、フランス,
1960年、ナチス将校のアイヒマンが逃亡先のアルゼンチンで逮捕された。ドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、ニューヨーカー誌に記事を書く。
裁判でのアイヒマンの発言をきいて、ハンナは彼が残虐な殺人鬼ではなく、ヒトラーの命令どおりに動いただけの平凡な人間ではないかと思い始める。
さらにユダヤ人指導者がナチスに協力していたという新たな事実を記事にしたことで、発表後、世界中から多くの批判がおこり、大学からも退職勧告を受け、古くからの友人も失ってゆく。
「ハンナはすべてを哲学で理解しようとしている」というユダヤ人たちの批判があり、友人たちとの確執はそこにあった。生き延びたユダヤ人の心情がすっぽり抜けているというのだ。ナチスへの憎悪がアイヒマンを冷静に分析することを許さなかった。しかしナチスの悪を分析するには心情の入り込む余地のない哲学の冷徹さが必要だろう。
若き日のハンナは思考しつづけることの大切さを師の哲学者ハイデガーから学んだのだろうが、そのハイデガーはナチスの信奉者だった。確かに思考しつづけることで人は強くはなれるが、それは正義とは別のものだ。
この映画で語られているのは大きくは三つになる。邪悪だと思っていたものが実は平凡な人間が生み出したものだったという「悪の凡庸さ」、考えることなくただ命令に従うだけの人間をつくり出す「思考の停止」、三つ目はもっともユダヤ人たちの怒りをかった「ユダヤ指導者のナチスへの協力」だ。
ユダヤの若い世代は抵抗しなかった旧世代を腰抜けといって批判した。今やイスラエルは核兵器と強力な軍隊をもちパレスチナと対立している。これが歴史というものなのか。