自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

泥の河

泥の河

1981年、日本、モノクロ、小栗康平監督

昭和31年の大阪、安治川の川べりでうどん屋を営む両親と9歳の信雄、一方、いつの間にか安治川に一艘の船が浮かんでいた。その船で生活するのは母親と娘銀子ときっちゃんと呼ばれる9歳の息子の3人だった。きっちゃんは学校には通っていなくて独りぼっちだった。きっちゃんと信雄は友達になる。

信雄が船に遊びに行くと「黒砂糖をあげなさい、そしてここには来ないほうがいいと言ってあげて」という母親の声が聞こえる。実はこの船は廓船だった。母親は夫が亡くなってから春をひさいで暮らしていたのだ。

f:id:hnhisa24:20190419085809j:plain

戦後10年を過ぎて「もはや戦後ではない」と言われていた。しかし人々の心の中にはまだ「戦争の影」が残っており、その上「死の影」が貧しい暮らしをおおっていた。

きっちゃんはうどん屋で「♪ここは御国を何百里 離れて遠き満州の・・・戦いすんで日が暮れて♪」と歌う。信雄の父は満州を思い出し、その歌をしみじみと聞くのだった。

f:id:hnhisa24:20190419085900j:plain

天神祭りの夜、きっちゃんはランプの油にカニを浸しそれに火をつける。カニは燃えながら走って逃げてゆく。それを見て「おもしろいだろう」というきっちゃん。信雄は怖くなりカニを追ってゆくと、偶然にも廓船の隣部屋で母親が客に抱かれている姿を見てしまう。

信雄は逃げるようにして家に帰る。

翌日、廓船は岸を離れてゆく。信雄は舟を追ってゆき「きっちゃん」と叫ぶが返事はなかった。

f:id:hnhisa24:20190419085924j:plain

銀子もきっちゃんも自分たちの暮らしを恥じていた。そして信雄は初めて言いようのない切なく残酷な世界があることを知る。

高度成長期前の日本の姿をまるで昭和31年に撮ったかのようで、成瀬や小津や溝口の作品を思わせる名作だった。昭和とはじつに様々な顔を持った時代だったのではないだろうか。