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映画に関する短いエッセイとその他

私の中のもうひとりの私

私の中のもうひとりの私

1988年、アメリカ、ウディ・アレン監督

ジーナ・ローランズイアン・ホルムジーン・ハックマンミア・ファロー

サンディ・デニス

大学の哲学部長マリオンが50歳の誕生日を迎える。医者の夫ケンとは再婚同士だったが地位も名誉もあり満足のいく生活だった。

彼女は執筆のためにアパートを借りる。通気口から隣部屋の精神分析医と妊婦の患者の会話が聞こえてくる。その患者の告白を聴いているうちにマリオンは過去を思い出し、自分のなかにいるもう一人の自分について考えるようになる。

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高齢の父、父と不仲で出来の悪い弟、幼友達で女優のリディア、かつての恋人ラリー、亡くなった前夫、そして妊婦の患者ホープなどとの会話で、マリオンは自分では気づかなかったもう一人の自分を知ることになる。

マリオンは人生を振り返り、気づかないうちに他人を傷つけていたことを知る。人を上から見下ろして評価していたのだ。知的で教養もあるのに揺れる感情を素直に表に出すことが出来ず仮面をかぶっていた。自分の中に激しい情熱があることに気づかなかった。そして見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞いていた。

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妊婦の患者の登場は子供を産まなかったマリオンの願望ではないだろうか。もしかしたら「私の中のもうひとりの私」とは妊婦の患者ホープのことかもしれない。すべてがどこか夢の中の出来事のように思えてくる。

ノローグで語られる地味な小品だが、回想と現実と夢がおりなす物語がどこかベルイマン作品を思わせた。脚本の見事さに感嘆し、私の知っている限りウディ・アレン作品のなかでも屈指の出来だと思った。