自由に気ままにシネマライフ

映画に関する短いエッセイとその他

ガッサーン・カナファーニ「ラムレの証言」

イスラエルパレスチナ

アブー・オスマーンはその生涯ずっと、穏やかでみなから愛された男だった。自分が死んだらラムレの美しい墓地に埋葬してほしいという事だけが望みだった。

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彼は末娘のファーティメを傍らに抱き寄せて立っていた。幼い少女はつぶら黒い瞳を見開いて、褐色の肌のユダヤ人の女兵士を見つめていた。

女兵士は「お前の娘か・・」、オスマーンはこわばりながらうなずいた。ユダヤ人の女兵士は無造作に小型の拳銃を取り出すと少女の頭に狙いを定めた。三発の弾丸が正確な間隔で発射された。少女は頭を前に垂れ、黒い髪のあいだから血の滴が、熱い茶色の地面に滴り落ちていた。

 

オスマーンの妻は両手に顔を埋め泣いていた。絶望に打ちのめされた。次に兵士が足で彼女を蹴り、銃口を彼女の胸に当て、一発の弾丸を発射した。

 

埋葬した後、「自分の知っていることを明かす」と言ってオスマーンは司令官の部屋に行った。そして人々はすさまじい爆音を聞いた。爆発は家を吹き飛ばしオスマーンの遺体はばらばらになって瓦礫の間に散乱した。

 

翻訳者の岡真理はこう書いている。

「日本のメディアであれば『自爆テロ』と呼ぶであろうアブー・オスマーンの最期とは、人間の尊厳を賭けた抵抗の意志の現れにほかならない・・」

 

人が国家を背負ったとき、人であり続けることの難しさ。国家の論理と個人の論理の間には大きな溝がある。