平凡な人生なんてものはどこにもない
ウェイン・ワン監督には「ジョイ・ラック・クラブ」「スモーク」などの名作がある。
「千年の祈り」は名作というわけではないがどこか忘れられない映画だった。
原作は女性作家イーユン・リーの短篇集の中の一篇でどれも粒ぞろいの短篇ばかりだった。
妻に先立たれ、一人北京で暮らすロケット工学者だったシーは、12年前にアメリカに渡ったままの娘イーランを訪ねる。娘は離婚してアメリカで一人暮らしをしていたが、無口で幸せそうには見えなかった。父親は心配するが娘にはそれが鬱陶しいものだった。
娘は「母国語で感情をあらわすことを覚えなかったから、新しい言語で話す方が楽なの」と父親に語る。異国で暮らす娘のアイデンティティの揺らぎがあった。映画ではさりげなく文化大革命や共産主義について語られる。
父親は公園でイラン人の老婦人と親しくなり、二人はペルシア語と北京語と片言の英語で家族のことを話し合う。
特に大きな出来事が起こることもないが、父と娘と老婦人の隠されていた姿が明らかになるたびに胸が締めつけられる。
とうとう娘は長年、鬱積していた怒りを吐きだす。「パパはロケット工学者なんかじゃなかった。それに愛人もいた」
それに対して父親は静かに訥々と真実を語り始める。そこには政治に翻弄されキャリアを失いながらも家族のために生きぬいた父親の姿があった。
中国には「修百世可同舟」ということわざがある。誰かと同じ舟で川を渡るには三百年祈らなければならないという意味。父と娘が分かりあえるためには千年祈らなければならない。