聖なる無知
日本 片山慎三監督
片足の悪い兄良夫と自閉症の妹真理子は港町のボロ家に住んでいた。暗い部屋は乱雑で荒れ放題だった。すべての窓が段ボールで覆われ日の光のささない部屋が兄妹の境遇をあらわしていた。
兄が失業してしまうと家賃も電気代も払えなくなり、食べるものもなくなった。やむなく兄はポン引きになって妹に売春をさせる。客は孤独な老人や小人症の男や高校生やヤクザやトラック運転手だった。
ところがいままで家に閉じ込められる生活だった妹は性の快楽に目覚め、生きる歓びにあふれてくる。そのうち妹が妊娠すると兄は意外な行動をとる。
やがて兄は元の仕事に復帰するが、妹はもう以前のような妹ではなかった。妹は岬に立ち、波が押し寄せる広い海を見ていた。
悲惨な暮らしと救いのない物語だったが、どこか笑えないような可笑しさがあった。深く考えもせずに行き当たりばったりの行動をする良夫は、ただ一人の友人から「お前は足が悪いのではない、頭が悪いのだ」といわれる始末だった。
兄と妹はどちらも障碍をもち、身寄りもなく、社会の片隅で隠れるように生きていた。しかし兄妹はどこか「聖なる無知」のようなものをもっていた。
貧困を題材にした「そこのみにて光輝く」や「万引き家族」より好感のもてる映画だった。それはこの映画には片山監督の破れかぶれの姿勢があったからだ。
突然、目の前にドサッと豚肉の塊を置かれたら、誰だって戸惑うだろう。言ってみれば、そんな映画だった。